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心を守る方法とそのリスク

最近、心の不調に陥ってしまった知り合いがいる。

その人はとても朗らかで楽しい人である。不調になる以前、その人は自分の過去のエピソードをあっけらかんと笑いながら教えてくれた。私はそれを聞いて、笑いながらこの内容を話せるような人は少ないのでは、と思うくらい、大変な思いをしてきた人だと思った。

それだけメンタルが強いのかな。すごいなあ。と思う一方で、私はなぜか危うさもうっすらとだが感じていた。

その人は、嫌なことがあってもすぐに忘れてしまう。心の健康のためには、いつまでも嫌な記憶が心で燻り続けるより忘れる方が良いかもしれない。
私が気になったのは、嫌なことがあった事実を一度受けとめてから忘れるのではなく、まるで何事もなかったかのように、意図的に忘れている(消去している)ように見えたことである。

意図的に忘れて消し去る行為は、自傷行為に近いのではないかと思う。その人の心は忘れて平気なように見せかけて、内側では傷つき続ける。身体と現実世界に対して心はどんどん置いてきぼりにされ、いつのまにか脆くなってしまっていたのかもしれない。

その人の幼少期の辛い経験を聞くと、自分の心を守るために意図的に忘れるという対処法を身につけたのだと思う。
でも、どこかで自分の心と向き合い、傷ついた心を感じて労わる時間を作ってあげないといつか崩れてしまうだろう。私が感じた危うさは、その人の心と身体の乖離だったのかもしれない。

一度バランスを崩すと二度と最初の形には戻れない。だから、また新しい形を探して作っていくのである。
安定と不安定の間で大きく揺らぎながら立て直していくのはつらいと思うけれども、諦めずに1日1日を過ごしてほしい。

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