はぐれ研究委員長

はぐれ研究員。心の中に浮かんだことを書いてみます。

はぐれ研究委員長

はぐれ研究員。心の中に浮かんだことを書いてみます。

最近の記事

学歴ロンダリング体験記(前編)

私は学歴ロンダリングをした人間である。 博士課程まで修了して就職活動をしなかったため、私の学歴ロンダリングが就職に有利か否かの判断はできない。しかし、現在も研究を続けられており衣食住に困っていないという点では成功していると考え、ロンダリングの過程やその時々に抱いた感情について書きたい。 私の学歴 無名私立大学(理系)→ 旧帝大院(博士卒) 無名私立大学の偏差値は50くらいで、勉強に真面目な学生は全学生のうち10%くらいに感じた。学部の雰囲気はのんびりとしていて競争意識は

    • 好きな音

      NHKの将棋番組から流れる音がなぜかとても心地良い。ほぼ毎週、この時間のBGMは将棋番組である。 将棋のルールは全く知らない。 理解できるのは、対局を見ながら別の部屋でその対局を解説している、ということくらいである。 彼らの静かに盛り上がるあの雰囲気、波長みたいなものが、どこか研究者の波長と似ているのかもしれない。淡々としているように見えて、その内側は青い炎が静かに燃え、いくつも思考を張り巡らせて緊張感と高揚感がある。 でも、研究者は1対1の勝負師ではないので、似てい

      • 冷めた目で観察する

        身体と精神の事情で働けない。お金もない。家族からは疎まれ、友達もいない。 八方塞がりのような状態で、口から出てくるのは過去の人からの侮蔑な態度や侮辱のエピソード。 あの時こうだったら…。 こんなひどいことを言われて心が折れた。 努力じゃどうにもならないことだってある。 働きたいのに働けない。 私の気持ちなんてわからないだろう。 もしこのような人がいたとする。 ハードな境遇で、言っている事もごもっともである。 彼らが次の一歩を踏み出す時、客観的に見てどんなにローリスクな

        • 生きるということ

          私にとって生きるということは、死ぬまでの間どうやって時間を潰すかという意味である。 死ぬまでの間、衣食住に困りたくない。 死ぬまでの間、多種多様なドラブルで心を傷つけたくない。 これらを避けるため、辛い思いをしないための処世術を身につけることに時間を費やしてきた。 人生を楽しむためではなく、嫌な思いをしないための思考である。 私は最初から人生を楽しむつもりがなかったのだ。 いつからそんな思考になったかはわからない。幼少期から既に家族といる時間は決して楽しいものではなく

        学歴ロンダリング体験記(前編)

          私の一生の恋

          どうやら、好きな人がいるらしい。 3ヶ月や半年に1回生きてるか連絡して、返事が来たらうれしい。 元気に暮らしていれば、向こうから私への連絡は必要ない。 恋愛して、結婚して、家庭をつくっても構わない。浮気して誰かと肉体関係を持っても構わない。 私のことを愛してくれなくても問題ない。 ただ、もしその人に心の底から愛する人ができてしまったら、とても悲しい。 これが私の一生に一度の恋。

          2024年、自分の声を聞く

          よく寝た。 最低限の食事と水を摂り、3日間、1日16〜18時間寝ていた。ナマケモノも18時間寝るらしい。 ようやく元気が出てきた。 ネット検索すると、寝過ぎは体内時計のリズムも乱れて体に悪いと出てくる。でも、全く根拠はないのだが、体が睡眠を求めている時は素直にその声に従った方がいいと思っている。 私はここ数年で痩せ過ぎから痩せ型になったが(中年太りというやつかもしれない)、物心ついた時からずっと痩せ過ぎの身体で生きてきた。運動もしてないのに体脂肪率が10%前後の時期も

          2024年、自分の声を聞く

          便利な実験器具の開発に感謝

          世の中では日々、便利な実験器具やキットが開発されている。 それはもう非常にたくさんの実験器具がある。先輩や先生から実験を習う時点で当然のようにそれらを使っているが、たまにそのことを不思議に思う気持ちが湧いてくる。 もし自分の目的を叶える器具が存在しなければ、自分で作るか、共同研究などで作ることになる。今はあらゆる実験手法に対応した器具が売られているので、少なくとも私の研究分野ではほとんど困ることはない。 人類で研究が始まってから現在までの、研究者や研究業界に携わるあらゆ

          便利な実験器具の開発に感謝

          汚い。気持ち悪い。最低だ。

          容姿が相手の最低基準を満たしている。 笑顔で楽しそうに話を聞き、相手が欲している言葉を探して言う。 相手がされたら嬉しいことを察して少しだけやる。 何度か2人で出掛けて、 「私はあなたのことが好きです」 という雰囲気を醸し出しながら会話をする。 概ね、めでたく恋愛が始まる。 汚い。気持ち悪い。最低だ。 そんな人はいるだろうか。

          汚い。気持ち悪い。最低だ。

          心を守る方法とそのリスク

          最近、心の不調に陥ってしまった知り合いがいる。 その人はとても朗らかで楽しい人である。不調になる以前、その人は自分の過去のエピソードをあっけらかんと笑いながら教えてくれた。私はそれを聞いて、笑いながらこの内容を話せるような人は少ないのでは、と思うくらい、大変な思いをしてきた人だと思った。 それだけメンタルが強いのかな。すごいなあ。と思う一方で、私はなぜか危うさもうっすらとだが感じていた。 その人は、嫌なことがあってもすぐに忘れてしまう。心の健康のためには、いつまでも嫌な

          心を守る方法とそのリスク

          型にはめられた学生生活からの解放

          今から振り返ると、高校を卒業するまではずっと檻の中でしか動けないような息苦しい毎日だった気がする。 私から見た学校生活は、毎日決まった時間に授業を聞き、例年通りの何かに向けて部活をしたり学祭などのイベントをする。大学入試を乗り越えることをゴールと設定した型にはめ込まれ、その中で生活するというものである。 私は非常に単純で従順な人間だったので、自分に合わなくて息苦しいその型の中で懸命に過ごした。 教師や周囲の人たちが教えてくれる「この型の中での正解」を、まちがえないように、

          型にはめられた学生生活からの解放

          定番以外で日本でしか食べられないもの

          この年末、中国人の友人が実家に帰省することになった。 コロナウイルスの流行もあり中国への帰省は数年ぶりとなるため、友人はとてもうれしそうにお土産を買い込んでいた。ひとしきり買ったあと、「定番のお土産は買ったけど、定番以外で何か日本でしか食べられないものはないですか?」と私に尋ねてきた。 え、、、、え〜っと、、、、 私は脳内スロットを必死に回して解を弾き出した。 わさビーフ すっぱムーチョ 柿の種チョコ 出てきたのはこの3つだった。 友人:「むーちょ…!?これら

          定番以外で日本でしか食べられないもの

          お金の使い方

          幸運なことに、私はまだお金に苦労したことがない。 奨学金で一部を賄いつつも、博士課程修了の20代後半まで学費や生活費を親が負担してくれたのだから、一般家庭でも経済的に恵まれている方である。 【お金については親に十分感謝すべきことだが、その一方で、お金と人の欠点を責める方法でしか子どもに愛情を伝えられないような哀しい親だと感じている。それはまた思い浮かんだら書くことにしたい。】 小さい頃から母親が「うちは貧乏なんだから」を口癖のように言っていたおかげか、私は比較的倹約できる

          「なんとなく」の力

          土曜日はひどい生活になってしまいがちだ。 朝は10時くらいに起きて何か食べる。少しうだうだした後歯を磨いてもう一度寝る。次に起きると夕方5時くらいになっており、また何か食べる。そしてようやく動き出し、その日のタスクを終わらせる。 所謂食っちゃ寝状態になっているが、幸いまだ肥満には遠い(BMI 17、体脂肪率約17%、腹囲正常範囲内)。でも近い将来血中脂質や血圧は引っかかるかもしれない。 こんな生活なのであっという間に夜になるのだが、細胞を培養しているためどんなに面倒臭く

          「なんとなく」の力

          私の文章=恥ずかしさ100%

          自分の書いた文章を人に読まれるのが非常に苦手だ。そのため、研究費を獲得するための申請書を書く時は毎回けっこうな苦痛を伴う。 論理的な文章や、人にわかりやすく伝える文章など、TPOに沿って書く能力は比較的良い評価をもらえることが多い(ここで書いている文章が好き放題で破茶滅茶な文章であることはどうか目を瞑って頂きたい)。 問題はそれらの文章を人に読まれて、ポジティブな場合も含め何らかの感想を持たれることや添削されることがつらいのである。 つらい感情の内訳を考えてみた。 恥ずか

          私の文章=恥ずかしさ100%

          歳を重ねると

          「歳を重ねるとたくさんのことを経験してきため、刺激に対して鈍感になり感動しにくくなる」というのを聞いたことがある。 確かにそうかもしれない。でも、私の場合は逆かもしれないと思った。 植物の鮮やかな色や形の綺麗さ、楽器が奏でる音、冬の晴れた寒い日の清々しさなどを、10〜20代の頃より良いものだと感じるようになった(むしろ当時はそれらの良さがほとんどわからなかった)。 また、感動とは異なるが、自分の体の状態や欲しているものを感じとれるようになった。今日は朝食に甘酒を飲んで寒い

          頭がぐちゃぐちゃ

          難しい。頭がこんがらかる。 やりたいこと、やりたくないこと、期待にこたえたいとか疲れとか、色々な糸が絡まって見えてこない。それはまだ私の未来が選び放題だからなのだろうか。 難しいことが楽しいなんて到底思えない。楽がしたい。でも成長したい。相反する感情が私の中で渦巻いているのが感じとれる。 こういう時、人はどうやって解決しているのだろうか?そもそも人はここまで自分の中に渦巻く感情を深く考えて生活してないのだろうか?と悩むたびこの疑問を感じる。なぜ私はこんなに悩むのか?考え過ぎ

          頭がぐちゃぐちゃ