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私の文章=恥ずかしさ100%

自分の書いた文章を人に読まれるのが非常に苦手だ。そのため、研究費を獲得するための申請書を書く時は毎回けっこうな苦痛を伴う。

論理的な文章や、人にわかりやすく伝える文章など、TPOに沿って書く能力は比較的良い評価をもらえることが多い(ここで書いている文章が好き放題で破茶滅茶な文章であることはどうか目を瞑って頂きたい)。
問題はそれらの文章を人に読まれて、ポジティブな場合も含め何らかの感想を持たれることや添削されることがつらいのである。
つらい感情の内訳を考えてみた。

恥ずかしい: 100%

恥ずかしい以外何も出てこなかった。とにかく恥ずかしいのである。ではなぜ恥ずかしいのか。

私は気楽に文章を書くことができない。書いた文章はもはや自分の一部であり、それを無防備な裸のまま外に送り出しているような気持ちになるからかもしれない。

これは結局のところ、プライドが高いから否定されるのが「許せない」と同じ気持ちなのだろうか。
似ているように感じる。でも、どちらかというと、見ず知らずの相手や、逆にある程度仲の良い相手にむき出しの自分を見られるのが「怖い」のかもしれない。おそらく自分の中にあるもの全てを曝け出し、心を削る勢いで書いているからだろう。

じゃあもっと取り繕って書いたら恥ずかしさもなくなっていいのでは、となるが、それは恥ずかしさで悶え苦しむ今の書き方よりダメだと感じる。阿呆だなぁ…と思うけれどやめられない。どうしようもない。 

いつか恥ずかしくなくなる時が来たらまたその理由を考えてみたい。

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