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「なんとなく」の力

土曜日はひどい生活になってしまいがちだ。

朝は10時くらいに起きて何か食べる。少しうだうだした後歯を磨いてもう一度寝る。次に起きると夕方5時くらいになっており、また何か食べる。そしてようやく動き出し、その日のタスクを終わらせる。

所謂食っちゃ寝状態になっているが、幸いまだ肥満には遠い(BMI 17、体脂肪率約17%、腹囲正常範囲内)。でも近い将来血中脂質や血圧は引っかかるかもしれない。

こんな生活なのであっという間に夜になるのだが、細胞を培養しているためどんなに面倒臭くても研究室に行かなければならない。特に今は8種類ほど細胞株を樹立している途中なので、予定に合わせてメンテナンスを遅らせることができない。

奴ら(浮遊系細胞)はサワサワ、ポコポコ、静かに増殖していく。

樹立する時は大半の細胞が死滅してセレクション培地の中で生き残れる細胞のみになり、その少数の細胞を増やしていくため、1個が2個、2個が4個になっていく様子を見ることができる。ごく当たり前の現象だが、なかなか健気で可愛らしい。

「頑張れ〜」と毎日応援しながら、様子を見て死細胞が浮いた部分の培地を捨てるか、放っておくか、2ウェルに分割するか、スケールアップするかを決める。その判断は「なんとなく」だ。

科学者は「なんとなく」という曖昧なものを避ける。

再現性が必須となるため、どのような条件で実験するとその結果が得られるのか、プロトコル化して明確に示さなければならない。
私はMBTIでINFJタイプと診断されたが、「なんとなく」で物事や生物の様子を読みとるのはINFJが非常に得意とすることなのではないかと思う。

たぶんガチガチな理論系の研究ほどINFJの良さが活かせず不利である。私はガチガチの方ではないのでまだこの研究分野で生存できているが、それでも曖昧な理由で実験して報告したら全方位から刺されてしまうだろう。

私もブッ刺されて血まみれになりたくないので、取っ掛かりは「なんとなく」を使い、あとから周囲が納得するような理屈を考えOKと思ったら行動するようにしている。

生物、特に高等生物になるほど構成要素が多くなり、倫理的な問題もあり現象のメカニズムを明らかにするのは難しくなることが多い。「なんとなく」の力をうまく使って研究することで、難題を解決する最初のきっかけが掴みやすくなるのではないかと思う。

そんな自分に都合のいいことを考える土曜の深夜だった。


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