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責任感ってなんだろう

小学校2年生から男子校に転校したが、一学期の通信簿で「責任感」の評価が低かった。そのことを気にした母に、夏休みの家族旅行先でまで、2学期は「責任感」の評価を改善しなさいと口うるさく何度も言われた。転校先の学校では、学年ごとに級長1名、副級長2名を人気投票で選出する制度があったが、残念ながら、卒業するまで級長・副級長に選ばれることはなかった。責任感の評価とは関係ないけど、社交的の真逆の人間だったし人望もないから選ばれるわけもなかった。ただ、小学5年生の時に学内の見回りなどをする週番に立候補し、それには選出された。初めて選出された役職に嬉しくて朝夕業務に励んでいたが、朝礼前の週番業務でグラントを囲む屋根に乗っかったボールを拾い集める作業中にこけて、左足膝横を5針縫う大けがをした。ようやく選ばれた役職だったのに、なんともついてない。

5年生の時、5針縫う怪我をした後、
化膿止めで飲んだ抗生物質で身体中に蕁麻疹が出た。
顔まで発疹が出て完全に消えるまで学校に行きたくなかったが
勉強が遅れるからと母に促されいやいや登校した。
私が教室に入った瞬間、同級生たちは私の顔を見て笑ったが、
担任のN先生は、そんな生徒達を一喝して黙らせた。

中学・高校と進学した先では、特にそういった役職制度はなく、自由に楽しく学生生活を送った。その後大学に進学して入った音楽サークルには、委員長、副委員長、会計、渉外などの役職があった。すべての役職に3年生が就くが(4年生は就職活動でサークルを引退する)、渉外という役職はひとりは2年生から選挙で選び、3年生の渉外と一緒に仕事にあたる。なんだか興味が湧いて、私は渉外に立候補した。白票を投じた同級生から、選挙後の飲み会であれこれ言われたのは堪えたけれど、渉外に選出され、3年生では委員長に立候補し1年間職務を果たした。ただ、その責任を重んじることを言い訳にして自分の思いに蓋をした。そして、大切なものを失った。ふとそのことを思い出すと、「自分が思い込んでいた責任感って、いったいなんだったのか?」という疑問が脳裏をよぎる。今でも責任感が実はよくわからない。


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