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COVID19。妄想から抜けられない脳(国家中枢)は外界(世界)と身体(市民)と対話してその役割を果たせ。

COVID19に関して国家と人体を比較して論じてみました。この国が患っている最大の病は中枢(脳)のメンタルディジーズのように思います。外界や身体との対話が出来ず、暴走した妄想に囚われた行動です。
だとするとその養生法も人体と同じです。

外部からの病原体の侵襲

中国の武漢という街の動物から人間界に入り込んだとされる新型コロナウィルスは、グローバルなヒト、モノ、金の移動にともないあっという間に各国に広がりパンデミックを引き起こし、世界中の人が、これまでとは違う日常に突然投げ込まれました。

動きの活発な若者の多くには症状は乏しいのに、感染力だけはやたら強く、高齢者や弱者を中心に一部が重症化し死に至らしめるという非常にしたたかな、恐ろしいウィルスです。

人々が集い、近づきたいという思い、そして社会の歪みである格差や貧困につけこみ、弱者ほど痛めつけ、あっさり医療を崩壊させます。

人と人との接触を減らす、距離を開けるという、ソーシャルディスタンシングが各国の基本的な対策になっています。

そのため、観光業や飲食業、イベント業は壊滅的な打撃を受け、収入が止まり、経済は冷え込みます。インフラや医療や福祉、教育も感染拡大に気を使いながら対応にてんやわんや。旅行や多人数の集まりは当面できないでしょう。

局所的な災害とは異なり、だれもが無関係というわけにはいきません。
このようなことになるなどと、数ヶ月前はだれが予想していたでしょうか。

脳の暴走、中枢の機能不全

残念なことに、この非常事態、危機的な状況において、わが国のリーダーは「国民の生命と財産、生活を守りみんなが生き延びる」ということにプライオリティを全くおいていない仕事のできない人たちだということがついにわかってしまいました。

この状況でも「やってる感」の演出、国民へのマウンティングと恫喝、忖度の要請、同調圧力を利用し、スケープ・ゴートをつくり分断を煽り、権力とポジションの維持、お友達への利益誘導しか考えられず、弱者には公的な支援がいつまでもとどきません。

これまでさんざん普段からそういうからっぽな王様の政治の私物化、邪智暴虐を許してきたのですから、危機の時に及び突然、対話やリーダーシップを発揮する善政を期待出来るわけもないのですが。

現時点での見通し、選択肢、その根拠を示す専門家(生命としての、個体としての過去の記憶、知識)とも、さまざまな利害を持つ国民一人ひとり(身体の各器官)、特にさんざん痛めつけられてきて声もあげられない弱者(病み、損傷した器官)とも丁寧な対話ができない、そしてそれらを統合して決めて責任を取ることが出来ない人たち権力の座にいます。
この状況でタスクを果たせるひとが中枢にいません。

脳(中枢)の働きは司令ではなく身体の各臓器の調整と言われます。リーダーではなく、サポーター、コーディネーターの機能なのです。

この国の有り様を人体に例えると、身体の各臓器、機関、そして感覚器と脳が解離して機能不全に陥っているのだと思います。
外部の状況を認識したり、異常や痛みを訴える内部の感覚をとらえて身体と対話し養生することができない状況です。

傷ついて病原体とたたかう身体の各臓器に休めと言うけれども、修復するための休養できる動き(栄養のあるものを食べ、安全なところに身をひそめる)を全くしていないというのが今の日本の現状です。

身体の休養、身体性の回復を

いままで人と交わることに価値をおき、新しいこと、筋の通った事をするよりも世間の集団の中で自分の立場をわきまえ浮き上がらずに過ごすことに価値がおかれてきました。

感じ、考えることを放棄し、盲目的により早く、よりたくさん、という生産性に価値をおかれてきました。戦前、そして戦後の教育などもまさにそのための戦士をつくるための教育でした。

それが、一転。コロナウイルスの流行を抑えるために、人と人との距離を取ることが求められ、人は動きを止めました。
旅行や集会もできなくなり、新たな働き方、生活スタイルを模索せざるを得ません。
これは多くの人の生き方そのもの、そして社会そのものを変えてしまうほどのインパクトをもっているのではないでしょうか。

強制的にではありますが、スピードをゆるめ、動きをとめることで、自分たちの見えている世間だけで生きてきた人たちが、自分たちが見えてない弱者をおいてけぼりにしてきたことに気づくきっかけになるかもしれません。
社会的な不正義や不作為のために辛い悲惨な選択を一部の人に押し付けることがないようにしなくてはなりません。

強欲者、やっている感だけという会議や行事、またそういう人たちは白日のもとにさらされ、ICTの活用、優先順位の組み直し、働き方改革へのシフトは一気に進むでしょう。

かつての日本の高度経済成長の栄光よもう一度と、東日本大震災と少し目が冷めたチャンスであったはずの原発事故はなかったことにしたい人たちがいます。そしてオリンピック、万博、リニアなど形だけ真似て盲目的に突き進む安倍政権とその夢を信じたい人たちの幻想に冷水を浴びせます。

商業主義のオリンピックも万博もリニアモーターカー建設も、辺野古もイージスも原発も軍備も中止です。当然です。

世界の調和を取り戻す


社交距離をとる政策をとることで変にベタベタしない自立した個人がふえるのか、それとも寂しさや不安にたえきれず宗教やファシズム的なものに流れていくのか・・。

身体の各細胞(市民)は妄想の支配する脳の軛からはなれ、独自に修復をはじめネットワークをつくります。そのうねりはやがて中枢に至るでしょう。中枢が暴走し破滅に至るのが先か、身体性を取り戻し調和の取れた中枢を取り戻すのか。

いままさに、その分かれ道なのだとおもいます。

これまでの生活と違う日常に投げ込まれて、世間に適応しうまくやっていたと思っていた人が混乱していて、狭い世間に適応できていなかったような人が、広い社会で意外な視点や行動してたくましく見えるのは気のせいでしょうか?

こんなときだからこそ、ASDの方の自分の感覚やペースやスペースを大切にした丁寧な生き方。ADHDの方の刺激を求め変化に対応する力などが活きてくるのだとおもいます。

ローカルでは喧騒やビジネスではなく地に足をつけた丁寧な暮らしが見直されると思います。そしてエネルギーや食料、ケアは地域圏内での自給がもとめられるでしょう。

一方で、インターネットを通じて世界中の人とはより近くなり、対話を通じて成長する学び合いがグローバルにできる。そんな生き方にならざるをえないのではないでしょうか。

そんな新しい時代、私は実はけっこう楽しみにしています。
一人ひとりが感じ、考え、知恵を絞り、語り、みんなで生き残りましょう。

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