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強度行動障害は現在の苦しみと過去の哀しみ未来への不安の表現である

私は、診療において頼まれたことで自分に出来ることをするということを繰り返しているうちに、この「強度行動障害」の分野にたどり着きました。
知的障害をともなう自閉症の方の思春期、成人期は、関わる医師が本当に少ない分野です。そして新たに強度行動障害にしない、強度行動障害から脱するお手伝いをすることが臨床実践と調査研究のテーマの一つとなっています。以下の記事は現時点での自分なりのまとめです。

なお、2020年5月に信州大学子どものこころ診療部セミナーで「重度知的障害を伴うASDの医療〜特に強度行動障害について」というテーマで、この領域に長年取り組んでこられた愛知医療療育総合センター中央病院の吉川徹先生に講演いただきました。動画のシェアのご許可をいただきましたので、下記のリンクからぜひご覧ください。

また強度行動障害の予防、改善に興味のある方は勉強、情報交換グループの「脱!強度行動障害グループ」にご参加ください。医療、教育、福祉の支援者、親などの参加があります。
https://www.facebook.com/groups/470864929960904/

強度行動障害とは

強度行動障害とは、激しい自傷行為、何でも口に入れるなどの異食、危険につながる衝動的な飛び出し、他人への暴力や物を壊すなどの他害行為、繰り返されるパニックや頑固なこだわりなどの行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のことを言います。

知的障害をともなう自閉症の思春期から青年期に多く、多くは人権侵害によって引き起こされているものと考えられます。

 まったく何の理由もなくいきなり強度行動障害の状態になるわけではありません。その多くは、本人の特性を無視した環境で苦痛と不安と混乱の中に放置された状況から逃れようとする行動であったり、長年にわたり人権侵害がなされつづけた哀しみの表出であったり、自分や他人を使ったいびつな遊び方であったり、適切な振る舞いを学びそこねた誤学習の結果であったり、未来への不安だったりします。

知的障害をともなう自閉スペクトラム症に多い


では強度行動障害はなぜ知的障害をともなう自閉スペクトラム症の方に多いのでしょうか?

 まず、知的障害があると言語や数字などをもちいた論理的、抽象的な思考をしたり、自分の考えや体験を言葉などで表現するのが難しいです。

 さらに自閉スペクトラム症があると視覚や聴覚など外部からの情報をそのまま取り込みすぎてしまう一方で、疲れや痛みなどの身体内部からの情報を適切に抽出するのが難しく、身体の反応を読み取り名前をつけることで分化する感情も快不快のレベルから未分化のままであったりします。

 そして、時に身体内外のさまざまな感覚刺激が処理しきれずに飽和しメルトダウンと呼ばれるパニックをおこすこともあります。

 また、彼らは世界の感じ方、興味のあるところ、見ているところが多数派と違うため、周囲の状況、特に見えない時間の流れや、区切り、背景にある理由、他者の感情や体験などを想像する際にどうしてもズレが大きくなってしまいます。

 そして知的障害と自閉症ががあわさると、知識をもとに周囲の状況を理解したり、自分の感情をとらえ、言語などで表出したり、適切な行動をとることがむつかしくなります。いわゆるメタ認知を持ちにくいという状況です。

 しかし、そういった彼らにとって非常にわかりにくい状況をわかるように丁寧に伝え説明してくれる人は少なく、本人の気持ちや体験、希望を表出する支援もなかなかなされないままの状態が多いです。

 そんな状態で放置されているのに、多数派の理屈に従えないと、行動面だけをとらえられた一方的な叱責、反省の強要、いじめや虐待をうけるなどの人権侵害を受けやすいのです。

 その構造が理解できない本人はただ理不尽なことをされているという体験となり、結果として劣等感や、周囲に対しての被害的な認知をいだくことになります。

さらにやっかいなことに自閉症は忘れることが苦手でな障害です。

 特に理不尽な思いをした嫌な記憶は細部に至るまで不快な感情とともに記憶に刻み込まれ風化せずに残りトラウマ記憶となります。そしてささいなトリガーで過去の体験が今おきている現実のように生々しく思い出されて追体験されるタイムスリップ現象やフラッシュバックとよばれる現象をしばしばおこします。

 原因の見えにくいパニックや不調の原因をたどると、今のの環境の苦しさや、身体の不調などの場合ももちろん多いと思います。
 しかしそれに加えて、学校でいじめなどの理不尽な体験をしたなどの場合は学校の近くを通るなどのトリガー(きっかけ)で不安定になっていたり、運動会で嫌な思いをした場合、運動会のシーズンのたびに不安定になっていたりすることもあったりするのです。

 これらはトラウマ反応の一種で、ロケーショナルリアクション、アニバーサリーリアクションとでも言うべきものです。

強度行動障害にしないためには



 このような背景を知ると、強度行動障害にしないためには、彼らの世界を尊重し、彼らのわかる方法で対話をくりかえし、幼少期からなるべく強引なことをしない一方で、この社会で生きていくために最低限必要なことをしぼって丁寧に伝えていくことが必要であることがわかるでしょう。そして思春期以降は彼らの主体性を尊重しつつ母子分離をすすめていくことです。

 医学モデルに基づいて、少数派の彼らを矯正しようとし、多数派に近づけようと、拒否権を含めた選択肢が与えられないままで、強引に集団への適応に重きをおいた療育や教育に周囲がこだわると、幼少期から獲得すべき人や世界に対する基本的信頼感、自己肯定感を獲得しそこねてしまいます。思春期以降の支援付きでの試行錯誤ができなくなります。母性と父性はどちらも大事なのですが、大事なのは順番です。強度行動障害になる方は母性と父性の逆転がおこってしまっているのです。
 
 成人期までに、たとえ役に立たないようにみえることでも一人でも時間をつぶせ楽しめる活動や世界をもっている方はよいのです。好きなモノや好きな活動を通じて興味や関心を共有する他の人と繋がれればなおいいのですが、それはあくまでもオマケです。

 彼らの体験や興味や関心をもつものは一般的なものではないため、幼少時より好きなこと、こだわりたいことを、まあ許容できるレベルのものであっても全て取り上げられ奪われつづけてきていることが多いのです。

 つまり療育や教育によって彼らの選択肢を増やすつもりが、多数派の求めたい、やらせたいことを配慮なしに強要することで、逆に選択肢を狭めてしまっていることもあります。やりたいことは止められる、すすめられるものは嫌なものばかり。親や教師など周囲の人は良かれと思ってマンツーマンで熱心にお世話をされ、常に選択肢のない声掛けかけがなされつづける。そしてそんな彼らの気持ちや体験、要求の表出もできない状態、その選択肢も知らないままだったりします。

 そして生産性至上主義の価値観で少しでもいいとされる就労形態を目指して叱責したり、脅したり、叱咤激励します。例えば「そんなことでは生活介護にしか行けないぞ!」などという脅しです。そしてえてしてそういう親や教師ほど熱心でいいという評価をえたりもします。こうして本人の主体をうばわれたまま、人が関わらないと過ごせない状態をつくってしまいます。

 また親や学校などで本人の精一杯の表出である行動を、問題行動として暴力などの力で押さえつけられてきた方は、その行動様式をモデリングして取り込みます。そして周囲の大人たちにその力がなくなると今度は逆に関わる人を力で支配しようとします。これまで関わってきた人たちからうけた理不尽な扱いが、フラッシュバックして目の前の過去とは無関係の支援者に向くこともあります。

思春期以降に行き詰まる

 
 障害の有無にかかわらず思春期〜青年期には親とは生物学的にも反発するものであり、親と一緒にいるのが苦しくなり親からの自立への試みがなされます。しかし、青年期になっても、いつまでも子ども扱いされるなど、実年齢や性の尊重がなさてないこともとても多いです。親は子どもの自立を願いつつも子どもの力を信じる事ができず、物理的、心理的にもなかなか離れられません。本人の時間や空間、所有物などは尊重されず、主体的な選択に基づいて行動しその結果を自分で引き受ける試行錯誤がゆるされないまま、何かやらかすのではないかとつねに監視されるなど過剰に干渉されつづけられていたりします。これは本人にとってとてもストレスが強い状態だと思います。

 障害があると親を育てる力が弱く、思春期になっても、親から離れる力が弱いのです。また社会からの子どものことはいつまでも親が何とかしろという空気があります。こうして家から社会への出立が難産になりやすいのですが、思春期は学校教育も医療も移行期にあたり、障害のある子どもの親離れを伴走して支援してくれる人もなかなかいません。親もなかなか子離れができません。「この子より先には死ねない」という言葉はその際たるものです。本人にしてみたらひどい人権侵害、いつまで自分を縛り付けるのだということになります。

 こうして身体が大きくなり、強度行動障害がのこった方は、ますます居られる場所、関われる人がなくなり選択肢が狭まってしまいます。

 大きな隔絶された頑丈な入所施設はもう新たには作られなくなった今の時代では、強度行動障害になると、支援の乏しい地域では外部からの支援が入らない状況で家族の中だけで抱えざるをえない状況になります。離れたくても離れられない共依存状態になり歪な構造になり、青年期を過ぎ本人のエネルギーがおちてくると、行動面はおちつきますが、普段は引きこもり、受動指示待ちで、時々暴れるという苦しい状況のまま親子とも年老いて行きます。その過程で虐待や介護殺人も起きることもあります。

強度行動障害から脱するためには

 強度行動障害状態の方に対しては、おなじ人間としてリスペクトして、そのような行動しかできなくなってしまった彼らの苦しみと哀しみを想像し、いいところ、面白いところを見つけて付き合いつづけることができる人たちが、強力なチームを組むことです。

 そして感覚の過敏や過鈍に対応した自助具や環境調整、身体アプローチをおこなうこと。時間と空間の構造化、カレンダーやスケジュール、筆談や絵カードによるコミュニケーション(特に自発的は表出コミュニケーション)など本人にあった情報環境(理解コミュニケーション)と表出の保証(表出コミュニケーション)をととのえること。(巻カレ、コミュメモ(おめめどう®)、VOCA、PECSなど)。

本人と対話を繰り返し、本人の暮らしを尊重して、信頼を得ること。その後に社会に生きていくために必要なことを伝えること。
余計なお世話をせず、本人が自ら選んだ行動をして、その結果も自分で引き受けられるように粘り強くかかわり、支援者も彼らとともに成長しながら付き合いをつづけていくことが必要です。

 彼らのユニークな視点や表現はこの世界に絶対に必要なものです。仲間はずれにせず、見えないところに追いやるのではなく、同時代を生きる仲間として彼らから学びともに歩んでいきたいものです。

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強度行動障害の予防、改善に興味のある方は→「脱!強度行動障害グループ」にご参加ください。
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