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大根役者

若気の至りで役者なんぞをやっていた頃――。

「…はい!」
苛立った演出家の声で稽古が止まる。不穏な空気に包まれた稽古場。ある女優さんとラブシーンを演じていた俺がその空気の根源である。
「なんなのそれ?」 煙草に火をつけ演出家が言う。
「完全にお前が足引っ張ってるじゃない」
「はぁ…」
「全然会話になってないし、愛情も感じないし」
「はぁ…」
「〇〇(女優さん)があれだけ仕掛けてくれてるのに一切無視だもんね」
「すいません…」
「何か私、やりにくい所あるかな?」 苦笑いしながら〇〇さんが入ってくる。
「あ、いえ…」
綺麗な女優さんである。芝居も自然で、色気があって、相手役としては申し分ない。
演出家がダメ出しを続ける。
「昨日までは悪くなかったじゃない。何でそんな芝居に変えたの? 他のシーンともキャラクター通らなくなるよ。台本読んでる? いやもうキャラどうこうじゃなくて人として破綻してるんだよ例えばペラペラペラペラペラペラペラペラ…あーだこーだ…すっぺたこっぺた…」

うるせえな、分かってんだよ。今日この場面が成立しない理由が演出家様には分からずとも俺にはよく分かっている。
「聞いてる?」
「はい」
まったく聞いていない。聞いたところでなんの解決にもならない。
「分かってんの?」
「はい」
これは本当に分かっている。俺も昨日までの芝居がしたいのだ。
「じゃあもう一回」
え、またやんの? 何回やっても今日は無理だと…
「よーい、はい!」

男  なんでそんなに肩持つんだよ?
女  別に肩なんて持ってない。今回はあなたが悪いから…
(男が女の腕を取り自分に引き寄せる)
男  だったらあいつのとこに行くか?
女  やめてよそんな言い方…
(目を逸らす女の顎に手を添えて自分に向けさせる男。顔を近付けて)

―もう無理です。限界です。耐えられません。というより気付いた時から崩壊してます。気になって気になって他に何も考えられません。笑いを堪えるのがこんなにも辛いだなんて知りませんでした。〇〇さんは美人で穏やかで優しくて気使いが出来てオッパイも大きくて稽古なのにメイクもばっちりで髪もツヤツヤでいつもいい匂いがします。なのに何故、何故、何故そんなにも鼻毛が出ているのですか。視力の悪い僕ですから、せめて一本なら気付かなかったかもしれないのに。あなたのツンと伸びた鼻に少し上向きに開いた左の穴から推定5、6本はあろうかという真っ黒い鼻毛の束が瑞々しく顔を覗かせています。そして先端にはホコリのようなものがくっついて息をする度そよそよと遊んでいる。カイワレ大根のようだ。あなたの鼻の内側に植えられたカイワレ大根はすくすくと成長し、ホコリという葉っぱを蓄えて僕の心をこんなにも鷲掴みにする。ああ、あなたのカイワレを摘み取ってみたい。どんな有機栽培も敵わないその黒々としたカイワレを思いきり引っこ抜いてあげたい!―

こんな80年代アングラ芝居のようなモノローグが頭の中で駆け巡りながら真剣にラブシーンなど出来るわけもなく…
「はい!」 稽古を止めた怒りの演出家は深い溜め息をつき
「もういい、休憩!」
「すいません…」
震えた声で謝る俺に演出家が怒鳴る。
「泣きたいのはこっちだよ!」
泣いてるんじゃないんです。笑うのを我慢してるんです。いやもう何だか本当にすいません。

休憩中、煙草を吸っていると先輩の役者さんが声をかけてきた。
「どした? 何か悩んでんのか?」
「稽古中に思いもよらない所からカイワレ大根が生えてるのを見つけたらどうします?」
「…は?」

次の日、稽古場に行くと〇〇さんのカイワレは綺麗に摘み取られていた。もう笑いを我慢することはなくなったのだが、彼女のカイワレを誰が摘み取ったのか。自分で摘み取ったのか。抜いたの? 切ったの? 痛かった? 気付いた時はどんな気分だった? 次に芽吹くのはいつ? ねぇ? ねぇ?

気になって集中出来ない俺はそれからもしばらく演出家に怒鳴られる日々を過ごすこととなる。

俺は役者には向かなかった。


拙筆 2016年3月
BGM:玉砕ロック やさぐれ

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