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聖夜の密室

俺は電車に揺られてデートに向かっていた。
頭のてっぺんからつま先までビシッと決め、小脇にプレゼントを抱えて窓の外に目をやり彼女のもとへと向かう若者にはクリスマスソングが良く似合う。頭の中で流れるマライヤキャリーに心躍らせ、ワムに少しだけ切なくなり、ジョンレノンでハッピーになる。さて、お次は山下達郎かというところで甘いバラードを掻き消すかのように直腸が太鼓を叩き始めた。

ん雨は夜更け過ぅぎにぃ~♪ ドンドン!
ん雪へと変わるぅだぁろう~♪ ドンドンドンドン!
んさぁいれぇんなぁ~い~♪ ドンドンドンドンドンドンドンドン!
んほぉりぃなぁ~い~♪ ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ!

鬼太鼓が16ビートを刻み出したところで大量の脂汗に溶かされたポマードが頬を伝った。
痛い痛い…お腹が痛い!
既に遅刻しているのだがどうしようもない。我慢出来ない。一張羅のジーパンを茶色く染めるわけにはいかない。俺は心の中で彼女に詫びながら途中下車を選択した。
小股に急ぎ足という何とも滑稽な歩行スタイルで行き交う人々の間を縫うように進みコンコースに出ると「トイレ」 と書いた看板を見つけた。
ここからは全速力。
といっても両足を紐か何かで縛られての全力疾走を想像してもらいたい。この時の俺がそれである。やっとの思いでたどり着くと勢いそのままに個室へと滑り込んだ。
鍵をかけ、ジタバタとベルトを外しジーパンとパンツを同時に下すと一気に座る。

間に合った…。

えも言われぬ解放感――。
脂汗もすっかりと引き、タイルの壁や陶器の便座がひんやりと心地よい。俺は冷静さを取り戻すと鼻歌混じりにトイレットペーパーを巻き取った。
カラカラカラ…「んさぁいれぇんなぁい~♪ んほぉりぃ…?」
ここである物が目に留まる。
「ゴミ箱…?」
個室の隅に小さなゴミ箱のような物が据えられている。妙な違和感に尻を拭く手が止まる。…ゴミ箱…ゴミ箱………まさかっ!?
次の瞬間、「キャピキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆」 と、何人連れかの若い女たちが便所になだれ込むように入ってきた。

こ・こ・わ・お・ん・な・べ・ん・じょ・だ!!!!!

状況を把握し一気に引いていく血の気と大復活する脂汗。動揺した俺は便座から立ち上がると尻を出したままドアに耳を当て、外の様子を伺った。
「キャピキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆」
若い女たちは洗面台の辺りで何やらくっちゃべっている。…人数は3人…用を足しに来たんじゃないのか? …化粧してる? 
ブブ…ブブ…バイブモードのポケベルが鳴る。おそらく彼女だろうが今はそれどころじゃない。俺は個室の外に集中した。
すると別室から水洗の音がし、ドアが開けられ誰かが出口近くにある洗面台へと向かった。「ごめんなさい」 「あ、すいませーん☆」 用を足したご婦人が手を洗いに行ったところで、陣取って化粧している若い女たちと会話したものと思われる。
「キャピキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆」
困った。若い女たちはまだまだ動く気配がない。さっきからポケベルが鳴りっぱなしだ。10分…15分…俺はドアにへばりつき耳を当て、尻を出したまま息を殺して若い女たちの動向を伺っている。もう完全に変質者である。
20分ほど過ぎただろうか、ふとポケベルが鳴っていないことに気づく。
…怒って帰っちゃったか…
天井を見上げると、ドアに備え付けらているフックに吊るされたクリスマスプレゼントの袋がカサカサと虚しく頭に触れた。
はあぁ〜。
深い溜息をひとつ吐く。一体俺が何したってんだ!? 何でこんな目に合わにゃならんのか!? (前日に暴飲暴食をして腹を下して女便所でうんこしたからなのだが)
完全に開き直った俺は丸出しの尻をぴしゃりと叩くと、パンツを履きジーパンを履き、ポケットに忍ばせていたコンドームを小さなゴミ箱に捨てた。そして鍵を開けドアを開け平然と洗面台へと向かい、9割がた化粧を終えた若い女たちに声をかけた。
「ちょっとごめんよ」
女たちの間に体を入れてしっかりと手を洗う。顔を起こして髪型を整える。左にいた女が口紅を持ったままポカンとしているのが鏡越しに見えた。最後に襟元を直して濡れた手をジェットタオルで乾かすと
「どうも」
と言って女便所を後にした。
俺が便所を出るのと同時に大騒ぎする女たち「いやー!」 「何今の!? 何今の!?」 「男!? 男だよね!? 」 そんな声を背中に颯爽と歩く俺の足はもう縛られていないのだから早い早い。
知らぬ駅の改札を抜けて人気のない路地裏でタバコに火をつけるとニコチンが脱力感を誘い、その場に座り込んだ。
ポケベルのメッセージを確認する。
「カエル」
やっぱりね……いや、もしかしたら蛙の方……なわけねえだろ。

「クリスマスなんざくだらねえ…」

そう呟くと、俺はブーツの踵でタバコを消して立ち上がった。
ゴミだらけの路地裏を歩き始めると犬の糞が落ちているのが目に入り思い出す。

あ、まだケツ拭いてる途中だった――。


拙筆 2015年12月
BGM:三文詩人 浜田健嗣

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