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私はどこまでも痛い程凡人だった。

表現をすることを放棄している
表現の入口にすら立っていない。

要するにそういうことだった。

「私の住む町」という課題。

写真を見せに言った際、先生が私の目を真っ直ぐ見ていた。私は緊張で手が震え今すぐこの中途半端な写真をゴミ箱の奥底に押し込みたかった。

課題を出して単位を貰うためにこの課題を無意識のうちに軽んじていたこと、不器用なくせに、要するにこうしたら良いんだろうとラインを勝手に定めて愚鈍に器用な振りをしていたこと、その全てが顕著に浮き彫りになって露呈し、赤子の手をひねる程に容易に足元は見透かされた。
恥ずかしかった。
悔しくて涙が滲み出てきた

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その課題ときちんと向き合おうとせず舐め腐っていたこと、自分を成長させてくれる砥石から敢えて迂回し傷つくことを避けようとしていた卑怯な逃げ癖。すべて恥ずかしく、弱くてどうしようもなかった。


圧倒的に向き合う時間が足りてないとまで先生に言わせてしまった。
もう何も言えなかった。言い返す余地もない。
泣く資格も、そうでは無いと反発する資格も、全て私には持ち合わせておらず
ただセブンイレブンで即席にコピーしてきた色の悪い哀れな写真たちがそこに居心地悪く散らばっていた。

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ここに誓う。私はもう二度とひとつだって軽んじたりしない。
全てに全力で向かう。本当にごめんなさい。
自分自身、ごめんなさい。
考えることを放棄してごめんなさい。自分の感性、表現力、全てに心から謝罪したい。本当に本当にごめんなさい。

フラフラになりながら夢中で著名な写真家の写真集をオーバードーズした。
奈良原一高、スティーブンショア、ブラッサイ。
天才だった。
1寸も狂わない断固とした表現だった。

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恥ずかしくなった。恥ずかしかった。
天才とはこなした数の力で、圧倒的な考えに費やした努力の重みで、
無力さに唇を噛む私は口と愚痴だけは達者な凡人で、その差は歴然だった。


あまりの情報量と力の洪水に頭が痛くなり帰りの電車で眠りこけた。
最寄り駅で慌てて目覚めた時、私の見える世界は確実に変わっていた。


ほんの少しでも良い、進んでいこうと思った。
それがたとえ死の淵のような絶望でも多幸感溢れる煌めきでも構わない。
要は私が私自身の心でどう感じたか、何に興味を持ったか、そして向き合おうとしたか、だ。
それが掴んだのならもう絶対に、二度と手放さない。
二度と戻らない。
私は常に、全てに真摯でいようと心の底からそう思った。

2022.1.27

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