見出し画像

池下慕情 洗練篇


11/11(土)

三重県、久居のあたり

平日以外は盆栽に囲まれている

土日祝は「みどりの日」で暮らしている。
みどりの日…もとい盆栽手入れお手伝い。
このお店に通うようになって1年半が経つ。

もともとここは植木鉢の専門店だったらしく
屋号に「陶苑」の文字が残っている。
昔はメダカの餌や山野草も扱っていたようだが今では、ほぼ盆栽と鉢、水石などのお店だ。

美しい水石たち


日没前に用事を終え、電車で帰路につく。

この日も電車に乗っている。11月に入り
noteの更新は、移動中の日課になってきた。
四日市で乗り換えるのが通常ルート。

まぁ、今日も真っ直ぐに帰りませんけども。

事前にちゃんとお伝えしているので
今回は、驚かれることはないでしょうが
グッナイ小形さんのライブに向かいます。

そのまま乗車して名古屋・池下を目指す。

noteの添削をしながら
今日あったことを思い出してみている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「陶苑」に来るようになって
だいぶ経つので
周りの人との気心も
少しは知れるようになった。

ここには気軽に話せる良い人しかいない。
話す事柄については適度に配慮してくれるし
こちらも気持ちを推し量って話をする。

時に遠慮ない質問も別に不快には思わない。
踏み込みすぎるということがないからだ。

今日は、女性の先輩に
雑談の延長でこんなことを聞かれる

「そんな毎度毎度ライブ行ってて
 奥さんは浮気とか疑ったりしないの?」

あー。ごもっとも。
普通の感覚でしたらそうなるでしょうなぁ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

奥さんは出会ったころから
私にこう言っている。

「愛みたいな形のないものが分からない。
 だから(私から)好きとか言われても
 理解できない」

と。
割とはっきりしている。
今でもその心根は変わっていない。

ひょっとしたら愛が冷めてしまったのか?
そんなことをこちらが疑う前に、
もともと「愛」という空虚な言葉に
奥さんは囚われてはいないのだ。

ないものは探さない。

「愛」といった言葉に頼らなくても
信頼というものはできるもので。

生活の中で信頼は築かれ、守られる。
家事をすることやお互いへの配慮。
個人領域へ入りすぎないこと。
それらが、過保護すぎてはいけない。
粗雑すぎてもいけない。

信頼の先に「愛」が生まれたりするのかな
と、私は思ったりもしたのだが
奥さんは
「見えないものはわからない」
と答えるだけだ。

見えないものは探せない。

逆に、実態を伴った「家事」なんかは
「見えるもの」である。
とても分かりやすい。
自分が行えば、家族が助かる。
家族が行えば、自分が助かる。
そうやって一緒に暮らしていく。

一家離散することなく
共に生活しているのだから
少なくとも信頼はあるのだと思う。
…うん。そう思いたいし、思っている。

生活を「裏切らない」というのが大前提で。
家族が不快にならない生活を守ることが
私の役目でもあると考えている。

それが「そばに居続けることではない」
というのも、はたから見れば
理解に窮するし、まあ滑稽に思えるだろう。

もしくは、
家庭を放任したり、放棄しているようで
ネグレクトに見えるだろうか?

そうみる人もいるのは知っている。
けれども、これは考え方の問題だ。
「家族とはこうしなければいけない」とする
束縛は「他人の理想への呪縛」に近い。

「干渉のほぼない自由」が
家族の求める「望み」なら
私にはそれを叶える「義務」がある。

私にはこれが普通のこと。

隣で眠ることがなくとも。

手さえ繋ぐことはなくとも。

たとえ、抱きしめ合うことがなくとも。

家族の心の平安のためなら
私は何でも構わない。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ざっくりとこんなことを一瞬思ったのだが
説明するのが非常に面倒くさいので

「ん~… まぁ、端的に言ったら
 ぼくが日々自由に行動できている理由は
 家にいたら家族を不愉快にさせちゃうし、
 その場合が多いもんだから…
 なるべくいないようにしててね」

言葉を探しながら
うまく言えないかなと考える

「ぼくも家にいないうちは
 奥さんのこと信じてるし、
 あちらさんだって
 ある程度は信頼してるんじゃないかな?」

質問した側は不思議そうに、

「信頼ねぇ…」

と言う。

「まー、確かにしょっちゅう
 色々な所へ行って
 めちゃくちゃに好き勝手してるけど…
 ただ単に、見逃してくれていたり
 泳がされているだけかもしれないけどねぇ。
 まぁ、お互い、自由が多い方がいいのさ」

なんて言ったりして。
結局、笑って誤魔化してしまう。
質問した彼女は

「ふぅん…」とか、「へぇ…」とか、
相づちをうつ。

理解をもらおうとは別に思わないのだ。

うちはうちで
破綻しないように家族でいたらいい。
それくらい気楽に構えている。

ただ、嘘なく伝われば良いのだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

みんな、家庭ってどんな感じなのかな?
まあ、踏み込んで聞けない部分もあるよな。
電車に揺られながらぼんやりと思う。

「どいつもこいつも幸せになれ!」
そう書かれていたのは
とよ田みのるさんの漫画だが

私は、本当にその通りだと思っている。

幸せとか愛とか、人それぞれでいい。
それらが理不尽に傷つけられないよう
守られてほしいと願っている。

どいつもこいつも幸せになれ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

17:49

近鉄電車は名古屋駅へ着く。
ここから、地下鉄東山線へ乗り換えて6駅。

18:08
もう池下駅。あっという間。

ライブスタートは19:00なので腹ごなし。
本当は銭湯に行きたいが今日は時間がない。
駅を出て南の通りにあるラーメン屋へ。

ラーメン屋に詳しい人ではないので、
ここの、これは、どんな評価だ!とか
ここのダシはどうだ!とか
何かを論評できる知識はない。

このお店に来るのは昨年以来2回目

去年から財布に入れていたカードを確認する。スープまで全部飲むとスタンプがもらえる。
集めるとサービス券として利用できる。

家系って全般、こってりのイメージがある。
この流行りって、いつぐらいからあるのかな? 
毎日食べたいとは思わないのだけど、たまに
こうしてタイミングが合った時に食べる。

自分にはそれくらいの頻度が丁度いい。


ご飯と唐揚げ
スープ濃さ薄め、油少なめ、麺堅め

食券を渡して、間もなく
食事がデン!と運ばれる。

食に関して、時に理性と本能が対立する。
美味しそうなラーメンを前に2者が争う

「健康のためには、塩分控え、油少なく…
 おい!スープなんて飲むなよ!絶対!」

健康管理局員の叫び声の横で
財務官がブツブツとキレだす

「眼前のもの全ては料金に含まれている…
 余すことなくたいらげるべきだッ!いいか!
 スープとて例外ではない!全部だッ!」

という至極まっとうに聞こえるが
体には優しくない暴論を説く。

「うるせぇなぁ、静かに食べられないの?」

煩悩はただ美味しく食べたいらしい

「まっこと、人体とは難儀なものじゃのう」

「仕方ないでしょう生きてるんですから。
 …最近こればっかりじゃないですか?」

「葛藤は魂の洗練じゃのー」

守護天使が傍観する。

たとえ魂がいくつあろうと
食料を摂取するのはこの体一つだし
太るのも痩せるのもこの体に代わりはない。

美味しくご飯が食べられるのは単純に
健康なしるしだとは思うんですがね…。

太麺をムシャムシャと食べて
きっちりスープまで飲み干す。

ごちそうさまを言って会計。
2年でスタンプ2個かぁ…。

おいおい。何年かかるんだこれ。

まあいいや。

ライブ会場へ行きましょうか。





つづく






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?