【色街探訪】銘仙の町伊勢崎の色街残影

土地や産業について調べることがもはやライフワークとなっているのですが、伊勢崎市がかつて銘仙で繁栄を極めた街だということはつい最近まで知りませんでした。しかしながら昨年、富岡製糸場のある上州富岡を訪れた際にも、時の止まったような素晴らしい風景を目の当たりにしたことがあったので、またそんな思いがしたくて、電車を乗り継ぎ乗り継ぎヒイヒイ言いながら伊勢崎へ。

さ、寒い! 銘仙がモチーフになったような駅舎。

伊勢崎駅前。駅前ですがコンビニはありません。かろうじてベイシアはありましたが、ネットでの「コンビニのない街」という噂は本当で、水筒にあったかいお茶を詰めて来て良かったです。

駅前から伸びる大通りを歩きます。しかし人が全然歩いていない、そして寒い。大げさすぎる防寒対策をしてきて良かった。

「染色」や「呉服」といった看板を多く見かけたので、かつてこれらの街は、銘仙及びに関連産業で栄えていたようですが、完全に衣服が洋装化してしまった現代ではもはや荒廃の一途のようです。これは繊維産業だけでなく、製造業がどんどん海外に流出している現代ではどの業界にも共通して起こりうる現象であって、衰退していく日本経済の氷山の一角を見たような感じで、ゾッとしました。

はて、柄にもなく経済の話なんぞ持ちだしてしまいましたが話を元に戻します。伊勢崎市がそれらの繊維産業で栄えた頃、南町(現:緑町)には花街があったといいます。芸妓がいる街には娼妓もいるのではと思い調べてみたところ、幾つかの資料が出てきました。

こちらの伊勢崎銘仙アーカイヴスによると、群馬は明治26年に廃娼しており、公娼は置けないようになっています。しかしながらそこは埼玉も同じなのですが、廃娼令?はいそうですかと問屋が卸すわけもなく、裏で売春をする所謂「乙種料理店」なるものが出現し、よるの女達はそこで春を鬻いでいたようです。公娼が許されていた時代には「娼妓」となっていた人たちが廃娼後は「酌婦」となってお酌だけでなく他のサービスもしていたみたいです。明治42年出版の「上毛案内記」によると、伊勢崎の酌婦は74名、高崎は304名なので高崎の4分の1ぐらいの規模であったのでしょうか。それは戦前の話で、戦後は昭和33年の売防法施行まで赤線があったようです。

と、そんな前情報を得たところで、緑町を歩いてみましょう。

色のある街に銭湯あり・・・。擬洋風建築の銭湯寿美乃湯さん。営業しているかは不明。

寿美乃湯さんの向かいにはこんな建物。逆光でうまく撮れなかったのでこんな変なアングルで済みません。豪奢な飾り瓦などから何かのご商売をされていたお宅と推察。

緑町のスナック密集地を歩きます。

ほとんど営業していなさそうな印象を受けます。一本向こうの路地をへ移動してみると・・・

写真中央に真四角な建物。前面モルタルなのでなにかのご商売をされていたお宅かと思い近づいてみると・・・

なんと飾り窓が2つ。ただ、今は猫の餌やり場のようになっているみたいです・・・。

こちらのお宅の玄関には左側に穿たれた不思議な窓。

カフェー建築的なスナック。

と、人の気配が無く静まり返った街に、ひっそりとかつての盛り場の名残と思われる建物たちが息を潜めて佇んでいたのでありました。