【色街探訪】桐生市・華やかなりし時代の影を追って

半年ほど前の散策になるのですが、ようやく資料も見つかったので、データをまとめながらの記事となります。

桐生といえばいまでも機業が有名な土地ですが、機業繊維業で栄えた街には良い風景ありという自説のもとに、洋館などを目当てにぶらぶらしに行くことにしました。

桐生倶楽部会館(大正8年)。かつては機業の主人らが集まって社交する場所だったようです。

洋館付き住宅。洋館付き住宅は正方形が多い気がする・・・。

さて、かつて一大産業で栄えた街には当然夜の盛り場もあったはず、ということでいつもながらのまったくもって雑なリサーチで、盛り場方面にのろのろと歩き出してみました・・・が、この日は祭りの日でして、市街は大混雑、ゆっくりと見るという雰囲気ではなくなったので、ほぼ駆け足で見ることとなってしまいました。

仲町付近のスナック街をふらふら。昭和の遺構が声もなく静かに軒を連ねます(画像が悪くて済みません・・・)。

元キャバレー風の廃店舗。このような廃業店舗がズラッと並んでおり、ときおり営業しているのはフィリピンパブ・・・。先日の伊勢崎に続き、地方都市の元気の無さを目の当たりにします。


ナイトクラブのネオン看板ももう光ることもないのでしょう。

脇道に逸れるとこんなお宅。玄関の両脇に小さな窓が2つ、2階の窓にはおたふく窓と手すりがついており、なんとも目を引くお宅です。

どうもこの日はとくにぼんやりしてしまってモヤのかかった写真になってしまっています。永楽町付近のどこか色気のある、手すりのある窓のお宅。

織物記念館近くの路地。配管置き場になっているのが残念。

思いつきで行ったので、どこに色街があったかという特定はできなかったのですが、豪奢な洋館や色気のある建物などに、繁栄の残り香を感じることのできる小旅行でした。


ちなみに、桐生の色街に関してはこんなデータもあります。

花柳病統計からの県内他都市との比較と考察

1938年出版の「花柳病諸統計」の群馬県花柳病患者郡市別表の頁によると、

昭和12年の桐生市の花柳病患者数475人、高崎363人、前橋457人

なので、高崎の363人よりも多く、前橋と同じぐらいということは・・・けっこう多い。(※花柳病とは今で言う性病のこと。)その次の頁に載っている「花柳病専門医師数」のグラフを見ると、前橋10人、高崎5人、桐生4人となっている。

乙種料理店とカフエー

群馬・埼玉の色街について調べる時にぶち当たってしまう壁が「乙種料理店」。つまり表向きは飲食店ですが酌婦が売春するヤミ売春のようなもので、ヤミなのでちゃんとした数字が出てこずに色街があったのかどうかが煙に巻かれてしまう、と思っていたのですが、上記の花柳病統計の中にはこんな数字がありました。

前橋は甲種乙種共に50軒、カフエー・バー338軒 高崎は甲種49軒、乙種57軒、カフエー・バー137軒、桐生は甲種80軒、乙種20軒、カフエー・バー102軒「料理店飲食店雇婦調-昭和十一年」の一覧より←(旧漢字のため読めなかったところがハブかれてます・・・)

となっています。埼玉・群馬の色街については、乙種がよく語られますが、カフエー・バーの方が多いことをこの資料で発見しました。ただし花街とのバランスを見るとどうなっているのかというと昭和十二年芸妓228人、酌婦56人となっているので、桐生は花街の方が栄えていたように思えます(高崎は芸妓112人、酌婦が226人と逆転しています)。

とのことで、色街があったエリアについて特定はできていないのですが、桐生にカフエーがあったということは事実のようです。