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「気まずい空気をぶち破ったんじゃないか」

2021年2月24日オンラインLive配信された、『2.24音楽祭2021 〜Beyond the Border〜』。アーカイブが残っているのでぜひ多くの方にご覧いただきたいです。私も仕事があって部分的にしか視聴できなかったので、アーカイブがあってありがたいところです。
昨日聴いた、トーク④「辺野古」県民投票とは何だったのか、での登壇者の発言が、なんというか刺さりまくりだったので、不完全だし部分的ですが、視聴する時間がない、という方にも届いたらいいなという思いで記しておきたいと思います。

県民投票の会メンバーが得たもの

司会のモバイルプリンスさんの質問はメモっていないのですが、話を聞いていて、県民投票で示された沖縄県民の意思というボールは、本土側に投げられたまま今、長く長く空中に放置されたままですが、それでも県民投票というアクションの意義はめっちゃあったことを感じ、大事な大事な取り組みだったと改めて感じました。

“かねひで”の駐車場で署名集めをしていたときに、おじーやおばーと対話したり、「容認だけど書くよ、絶対やったほうがいいよ」と作業着姿のにーにーから声かけられたりしたと。

「立場を超えた署名集めができたことが、県民投票をして意味のあったこと。一人ひとりが意思を持って責任を持って参加したムーブメント」
「沖縄のいろんな人が考えて動いた1年間だった」

なんて素敵な振り返りでしょう。メンバーにも沖縄というコミュニティにも、また新たな素敵な経験という資源が積み重なったなぁと感じました。メンバーの振り返りを聞いてモバイルプリンスさんは「僕ももっと参画してればよかった」と言い、参画しなかった人がそれを後悔したり、参画している人を見て他の人も参画したいと思ったりする、そんな魅力的なアクションだったことも伝わってきて、そんなアクションを作り上げ、2年経ってもこうやってファンを増やし続けている、「辺野古」県民投票の会・元メンバーを改めてリスペクト!

県民投票を経ての周囲の変化

聴けてたまらなく感動したコメントがありました。

「これが一番僕はやってよかった。すごい変わった。
県民投票前までずっと感じてきた気まずい肌感覚があった。
間違っているなら間違っているって言った方がよくない?
目の前でおばあちゃんが倒れていて大丈夫ですか?
そのくらいのレベルでしょとずっと言っていたら『確かにね』って。
そういう空気感に変わった。
選挙がくるときにも『どういう候補者がいるの?』
『調べてみる』『投票行ってみる』とか。
気まずい空気をぶち破ったんじゃないか」

辺野古の新基地建設へのアプローチがこのアクションの目的だから、こういう変化があったから成功、とは言えないことはよくわかっているけれど、20代くらいの世代が、「意識高い系」と言われたりその場の空気を気まずくしたり誰かに嫌な思いをさせたらどうしようと心配したりする怖さを乗り越えて行動して、そういうずっと子どものころから感じていた気まずい肌感覚を「ぶち破ったんじゃないか」と感じられることって、何よりも大切な大切な希望だと感じました。

女性問題ではなく男性問題。「沖縄の」基地問題じゃなく

「本土の人たちに何を求めますか?」というモバイルプリンスさんの難しいボールへの返答も刺さりました。

「ボールは本土側にある。
僕たちや今日登壇している本土のメンバーはマイノリティ中のマイノリティ。
本土側の理解してくれる人たちと連帯して、わかっていない層にどうアプローチするかを一緒に考えて行動するしかない。
悔しいけど、何もしなかったら沈んでいくだけ」

動いて、周囲が変わった経験をしたからこそ、行動することの重要さを話してくれ、最後の「悔しいけど」にいろんな気持ちが込められていると感じました。続いての返答も。

「差別はやめてほしい。
沖縄の人は何回も声をあげてきた。
沖縄に連帯するとか沖縄のために動いてくれる人はいるけれど、沖縄の声の背中を押すのではなく、受け止めてほしい。
受け止めてくれないと声を殺すことになる。
声が生かされるように受け止めてほしい」

沖縄に対する差別は、感情的なものではなく構造的なものだという次のお話にも納得して、ここまで深く考え行動している若い世代の存在を希望に思いました。

「差別ということばを使ってこの問題を話すことが溝を作るとおっしゃる方もいるが、事実として存在する差別。
存在とその深刻性を理解することが必要。
そのときに鍵になるのは、その差別は構造的だということ。
自分が具体的にヘイトスピーチなどをしていなくても、沖縄を犠牲にして自分が何かしらメリットを得ているという社会構造の上での差別であることを理解する。
差別が歴史的であることも理解が必要。
薩摩が琉球を責めた1600年からの繰り返しの深刻性。
その2つが合わさった時に、自分もその歴史を繰り返す主体になってしまっている
『ウィルスなさそうな沖縄に行こうぜ。』あのとき(最初の緊急事態宣言直後くらい)沖縄を訪れた人は沖縄が好きと言うだろう。
それは沖縄を犠牲とすることを当然とする社会構造の中で暮らしてきたからこそ、都心部での自粛が苦しいから沖縄に行っちゃおう。
自分も沖縄の方々の健康を犠牲にする加害者の側になってしまった
構造的な差別構造があるからこそ、自分をも加害者にしてしまう
こういう歴史的でかつ構造的な問題であることを見極める必要がある」

私たちにできること

では私たちに何ができるのでしょうか。沖縄出身の父がいて、神奈川県で生まれ育ったけれど大学では沖縄に暮らしたような私は「どちら側」なのかなと考えましたが、どちら側でもよくて、できることをするかしないかが大事だなと今、思っています。

「各市町村の議会に意見書『県民投票の結果を尊重してほしい』『差別はやめて公正で民主的な方法で辺野古の代替案、日本の安全保障米軍基地についてどう考えるのか議論していこう』という陳情書、意見書を出す方法などいろいろあるから主体的になって、当事者性をどう持てるかを考えてほしい」

本土側にボールを投げ、ずっと放置されている側の沖縄から「こんなことができますよ」と教えてもらう前に本来ならば行動すべきなのだと、視聴しながら気づかされました。私は私の住んでいる自治体に意見書・陳情書を出してみようと思います。これはきっと一人でも多くの人と一緒にやれると良いと思うので、一緒にやりたい人いたら声かけてください。広めていくとか何か、コミュニティ・オーガナイジングの手法など、生かせないか考えたいです。そのほかにこんなことに取り組んでいるよと教えてくれた登壇者もいました。

「本土の中学生たちと学ぶ場を作っていて、そこでステップを踏んで説明をしたら、自発的に『自分的も差別している側なんですね』と大阪の中学生が自分で気づいてくれるという経験をしている。
そういうプログラムを一緒に作り合っていく。差別問題に向き合う」

“ミキオ算”を忘れない

最後に県民投票後、その結果を取るに足らないものしようとする印象操作があれこれ見られた話しがされました。それをしたのがどういう議員やメディア、コメンテーターだったのか。そして県民投票に参加しないと、沖縄市・宜野湾市・うるま市・宮古島市・石垣市が表明したときにそれに賛同した議員は誰だったのか。それらを私たちは忘れないことも、自分の行動に意思を持って責任を持つということの一つなのだなと感じました。

たくさんの困難を越えて県民投票を成功させ、その後も、歩を止めずに未来に向かう若者たちが教えてくれる示してくれるいろんなことを、私は自分の行動に反映したいと思います。

素敵な音楽祭を今年もありがとうございました!!


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