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障害年金への道のり

会社を辞めてからの生活資金

病気を発症した当初から、会社は辞めるつもりは全くなかったです。

しかし、1ヶ月…2ヶ月…3か月目諦めました。
治らなくてはと言うプレッシャーがすごい。

それに私は一家の大黒柱でした。
パートナーがまだ大学院の博士課程にいたからです。働いてくれてはいたものの2人で生活することは難しかったので。

結局会社を辞めたものの、生活費は必要です。

傷病手当金

私は『傷病手当金』を受け取れていました。
今はどうなっているか分からないですが、当時は給与の2/3程度支給されていました。これでしばらくは生活できると思いました。

期限は1年半、病名は「自律神経失調症」での支給でした。

因みに病気で傷病手当金をもらっていると、失業保険は出ません。働けるようになってから出ます。

そのうち慢性疲労症候群とも診断を受けました。

1年半で、病気を治し社会に復帰しなくてはと心から思っていました。だから必死に転職サイトも見ていました。

病名が「自律神経失調症」でも「鬱病」でも「慢性疲労症候群」だろうと、きっと働けると考えていたのです。

この時『精神障害者保険福祉手帳』を一応取得していました。税金の免除や都営交通の無料など利益が多かったからです。

ですが、これが後々ハローワークで役に立つとは思っていなかったです。

障害年金

ちょうど傷病手当金受け取り始め1年近く経った頃、『慢性疲労症候群の患者さんの障害年金受給を応援しよう』と言った趣旨の、社労士さんの集まりがあるのをネットで見つけました。

たまたま、パートナーの昔住んでいた地域で、私も知っている場所、懐かしくなりました。

で、行ってみました。

行って、早速体調を崩して私は先にタクシーで退散、パートナーに後を任せます。

帰ってきたパートナーから、社労士さんの話を聞きます。病状などの説明をし,慢性疲労症候群の診断を受けていることを伝えたそう。

「じゃあやりましょう!」

と言われて帰ってきた様です(笑)

でもそれだけやる気のある方ならとお任せした次第です。

社労士さんに、先生とのやりとりや書いて欲しい事柄をお任せし、確認。それを1字1字を今の症状とあっているか吟味しました。

食い入る様に。

この書類が私の、私たちの、これからの人生を決めると思いました。

私は電動車椅子でしか移動ができなくなっていました。

先生も微に入り細に入り、丁寧な書類を書いてくださいました。ありがたく思っています。

そして提出。審査期間の始まりです。

私が申請した当初、慢性疲労症候群は認められたか、認められていないかと言う微妙な時期ではありました。

間違いなく転換期の申請でした。

傷病手当金を受け取り終わる1カ月半前、書類が届きました。

あんなに心配して不安で開ける書類は今後もないと思います。

年金証書が入っていました。

下の方を見ると『一級』と記載があります。
しばらくは年金証書を見つめ、間違えて違う箇所見てるんじゃないかと思いました。

パートナーに聞きます。

私「これ、何級って書いてある?」
パートナー「一級じゃん!やったなぁ」
私「一級で間違いないよね?」
パートナー「だって書いてある」

そうだよねぇ、なんて言いながらビックリと一生分の運を使い果たしたかの様な気持ちになった事を覚えています。

余談ですが、傷病手当金の「自律神経失調症」と「慢性疲労症候群」が同じではないか?障害年金と被った分は、傷病手当金を支払えないとの話も出ましたね。

先生がぷりぷり怒りながら、「自律神経失調症と慢性疲労症候群は違う!」と規定の書類を書いてくれました。それも2回。

相手もしつこかったですが、慢性疲労症候群を診てくれていた先生はもっとパワフルでした。

担当してくれた社労士さんと慢性疲労症候群と診断し戦ってくれた2人には感謝しています。

失業保険

傷病手当金の支給される、1年半の間に治らず…電動車椅子に乗る程に悪化していました。

でも働かなくてはと、ハローワークへ向かいました。社会と縁が切れるのが怖かったのです。

確か失業の認定をして、1か月の間に仕事応募して、決まらなかったら失業保険もらえるんだったっけ?なんて考えながら入口の自動ドアをくぐります。

係の人がこちらへ向かってきます。

係員「身体障害者手帳お持ちの方でしょうか?」
私「精神の手帳を持ってます。初めてきました。」
係員「かしこまりました。ご案内します。」

前に来たときこんな丁重だったかな?手帳持ってるからかな?ああ、車椅子乗っているからか?
なんて考えてました。

手帳持っていると場所が違うんですねー、求人情報を探したり問い合わせたりする場所。
あ、初回の受付の場所も違う!

It's a 障害者 world.

これは地域差大きいだろうなと思います。
車椅子が通れるように大きくスペースが空いてたりしました。

で、肝心の求人情報ですが…車椅子OKの所はほぼ無かったのです。東京のど真ん中で。
あっても大卒資格保有者。

ハローワークで探しても無意味だなと思いました。なので、せっせと認定日に通いお金をもらっていました。

車椅子での職、今ではリモートワークなどがあり探しやすいかもしれないですね。
10年前は難しかったです。

エレベーターはあるか、誰でもトイレがあるかなど通勤して働くには難しい条件でした。

コロナ禍は、ひどい災害でした。
しかしながら、働き方改革を行えた要因にもなっています。

おわりに

今は障害年金で生活しています。

もしあの時、受給出来ていなかったらと恐ろしい気持ちになります。
今でも更新書類(診断書要)が来ると同じく怖いですが…。

今では電動車椅子にも碌に乗れず、寝たきりの生活です。トイレだけは自力で行けています。

まだ私はマシなんです。
もっと苦しい人がいるんです。

もっと色々な人に『障害年金で生活ができる事』を知って欲しいと思います。

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