見出し画像

引っ越し

こんにちは。
いつもお読みくださりありがとうございます。

今日は、『本題』から脱線してしまうお話になるかもしれません…m(_ _)m 
(※ 内容はこれまで通りノンフィクションです)
よろしくお願いします…。


両親が脱サラして「自営業」を始めたのは、
私がまだオムツをしていて、仕事の白衣を着た父と写っている写真を見る限りですが、おそらく1歳くらいだと思います。

店舗兼住宅の、食料品を扱う小売店を経営する両親のもとで私は育ちました。

まだ暗い早朝に、東京都東久留米市にある市場へ、玉子や味噌などの食品を仕入れに行き、そして母は、天ぷらやコロッケなどの多種の惣菜を作ってはガラスのショーケースに並べたりと、忙しい日々を送っていたのだと思います。

そのため日中私は、3歳頃まで近所のヘルパーさんに預けられていたそうです。(母の話)
全く覚えていませんが。

そんな私が、小学校に上がった頃から、両親は忙しさのストレス解消?からか、幼い私が邪魔だった?のか、常に私を叱り、力ずくで頭を叩くなどのいわゆる『毒親』に変貌していったように思います。

そして、私が小学4年生の時に、エホバの証人の女性が伝道で家に来たのがきっかけで、両親は聖書を学び始め、後々「神権家族」になったわけですが、

1980年代は、まさにエホバの証人(以下、JWとします)の活動は全盛期だったようで、
当時は、真夏の炎天下(屋外)の競馬場で丸4日間の地域大会、海老名での2日間の巡回大会、特別一日大会、電話回線による大会など、催し物が盛りだくさん。
通常の集会も週に3回。奉仕(伝道活動)においては、補助開拓者の要求時間が月に60時間、正規開拓者は月に90時間と定められており、当時のJWの皆さん達はとても忙しい中、頑張ってこられたと思います。

そんな全盛期に、集会の話で取りあげられた

「必要の大きな所(会衆)で奉仕する」

というもの。

これは、霊的に「円熟」した家族や、開拓者、
「資格」ある長老や奉仕のしもべを必要としている会衆へ「自費」で移動し、区域を網羅して会衆の拡大に貢献するという「自己犠牲」の精神。

母は、この取り決めに心が揺さぶられたのか…?

当時、母はバプテスマを受けて4年くらいのまだまだ新米JW。

そもそも我が家は、霊的に円熟しているわけでも、JWの資格があるわけでもなく、ただ母だけが無我夢中で突っ走っているだけで、私なんかはただの金魚のフン状態。

母は、とにかく「世間体が第一」の人なのできっと、JWの仲間たちから称賛され、母なりのステータスを求めていたのでしょう。

そして、母が家庭を牛耳っていたので何をするにも全て母が決める。もちろん子供の意見も一切聞かず。
父はもともと温和でとても優しく口数が少ない。なので母の言う事は何でも受け入れる。

脱サラし、自営業を始めたのも後から理由を聞けば母の要望なのだそう。

「必要の大きな所(会衆)で奉仕する」



交わる会衆は、古株の兄弟姉妹ばかりの中、新米JWの母は生意気にこれを決行する。

開業して15年が経つ食料品店をたたみ、店舗兼住宅の家を売却し、家族で未知の土地へ引っ越して、母は正規開拓者として熱心に伝道し、研究司会してエホバ(神)に仕えた。

そして、そこだけにとどまらず、その後も

「必要の大きな所(会衆)で奉仕する」

という美名のもとに、3回移動(引っ越し)し、私はその間に4つの会衆、またJWの成員の増加で分会を2度経験しているので、計6つの会衆を必然的に渡ってきた。

こうして母は、これまでの6つの会衆の仲間たち(兄弟姉妹)に歓迎され、称賛され、きっと気分が良かったでしょう…。「神権家族」として有頂天になっていたと思います。

そして、今の6つ目の会衆で、両親も60代の年齢となり「ここで落ち着こう」と思っていた矢先に……

子供2人 (私には兄弟がいます。高校卒業後は正規開拓者として活動していましたが、世の人と結婚しJWを離れています。) がJWの組織から離れていく。両親(特に母)はさぞ失望し、落胆したことでしょう。

「必要の大きな所(会衆)で奉仕する」ためにここに移動してきたのに、模範的な「神権家族」でなければならないはずの子供が組織から離れる…。

母なりのステータスと心はズタボロになり、人一倍プライドの高い母にはきっと、耐え難い恥ずかしさやイライラ、落ち込みなど色んな感情に掻き乱されたでしょう…

子供2人が離れた事を知っている、今の6つ目の会衆の仲間から、何か分かりませんが色々言われたりしたのでしょう。
私自身も、スーパーでばったり会った古株の姉妹に(JWおなじみの無視)挨拶スルーされた事があります。

そして当時、70代に突入した両親でしたが再び引っ越すことに。
今度は「必要の大きな所(会衆)で奉仕する」というよりか、子供2人の存在を直接知らない土地、7つ目の会衆へ…

そして、現在その「7つ目の会衆」と交わる両親の住む家が、前記事の通りの市営住宅になります。

今の両親が住む場所は、私にとって縁もゆかりもない土地で、もちろん私は「7つ目の会衆」の人たちや王国会館の場所も知りません。

また、私が世の人と同棲するため実家から出る時に、自分の私物すべてを持って出ましたので、今の実家には私のエンピツ1本すら残っておらず、なにか子供の頃の懐かしい物なども無く、私からすると「他人の家」のようです。
ただ、「両親が住む家」なので、あえて「実家」と表記しています。


最後までお読みいただきありがとうございます。

次回は、引っ越し先の借家で起きた、不思議な出来事について書きたいと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?