福島県 震災遺構 請戸小学校について 9/7

これを書くためにnoteを始めたというのに、日常生活のバタバタにかまけてまったく更新していなかったのですが、重い腰を上げて書いてみようかと思います。

去る9/6~9/8まで、秋田→福島→仙台というスケジュールで一人旅をしてきました。
一番の目的は、東日本大震災の被災地に訪れること。

ここ5年くらい目的地の候補としては常に頭の中にあったのですが、
みんなでワイワイいくところじゃないよなあ…とか
車無かったら行けないんじゃないかなあ…とか
いろいろ考えて後回しになっていたのですが、まとまった休みが取れたことでようやく実現することができました。

6日と8日についてはまた別の機会に書くとして、今回は7日のことについて記したいと思います。

当日、秋田を9時ごろ発の新幹線に乗り、まずは仙台へ。(11時半頃着)

目当ての電車は1時間に1本。トイレ付


そこから、常磐線原ノ町行で揺られること2時間で最寄り駅の浪江に到着します。

浪江駅の看板

駅前は青々とした草が生い茂る、のどかな雰囲気です。
ここからは、前日に手配していたタクシーに乗って請戸小学校に移動。乗車時間は大体15分ほどでした。

移動中、運転手さんから、
・お隣の双葉町は、未だに帰宅困難区域が多いこと
・学校がいくつか閉鎖されている関係で、自力での通学が難しい生徒さん向けに、観光タクシーがスクールバスの役割を担っていること
・運転手さん自身も、当時関西方面に避難をされていたこと
など、被災地の今と現在について、色々なことを教えていただきました。


震災遺構 請戸小学校

https://namie-ukedo.com/

到着した請戸小学校は、震災当時の傷跡を色濃く残す建物です。
ひび割れた壁、崩れ落ちた天井、大きく落ち込んだ床…
どれも、自分が想像する学校生活からはかけ離れたものでした。




震災発生当時、この小学校の生徒たちは、地震でひび割れた道を歩き、1.5キロ先の山に避難したそうです。(当時の流れを開設した看板が立っている)
余震や津波が発生する中、計り知れない恐怖との闘いだったろうと思います。

館内2階では、当時の映像や被災者のインタビューなども流れていました。
そんな中、震災から10年後の今、当時の生徒たちが思いをつづった作文の展示コーナーがありました。

一文一文を紹介することは避けますが、当時あれだけの恐怖を受けたうえで、友達とも離れ離れになったであろう子供たちが、それでも前を向いて元気に生きている姿に、思わず涙してしまいました…。


大体1時間~1時間半くらいをかけて見て回り、次の目的地である原子力災害伝承館に。

思ったよりも記事が長引いたので、2回に分けようと思います。(いつ更新するかはわからない)

最後に、僕自身は請戸小学校と伝承館、どちらも訪れることができて本当に良かったと考えていますが、万人が訪れて楽しいところではないかもしれません。どうしても嫌な記憶を想起させますし…。
僕自身も、何日かは引きずったところがありました。
これから来訪を予定されている方は、ある程度覚悟を持っていくことをお勧めします。

~次回に続く

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