見出し画像

大きな樹の話8(後編)

記憶に残る巨樹とは 〜続き

記憶に残ると言っても2つパターンがあることに気付いた。
ひとつは「生命感に溢れ、その並外れた外観的特徴が顕著に現れているもの」
(大きな樹の話8前編参照)

もうひとつは「生物としての樹とは違う、何か別の域に達しているような印象のもの」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②の方はとても言葉にするのが難しくて、本当に直感に近いものなんだと思う。今までにこの印象を受けたのは3本だけなのだけれど、そのうち2本はかなり衰退期に入っている老樹だったから、初めはそういう樹にこの印象があるのかなぁと思っていた。が、先日訪れた春埜杉というスギは若くは無いけれど衰えは微塵も感じさせない雰囲気だった。
これで②のパターンはますます迷宮入り。別に全ての巨樹を分類したいわけではないけれど、制作のそもそもの目的は巨樹信仰の原点を探ること。「人は樹のどこに神を見出したのか」を考察するにあたって自分の感覚はかなり大事な情報なのだ。

さて、②に当てはまったのは、武雄の大クス(佐賀県)、石徹白のスギ(岐阜県)、春埜杉(静岡県)の3本。
武雄の大クスは推定樹齢3000年と言われている。その真偽はさておき、納得させられるほどの風格を持っている。大空洞を抱える幹からは、生気などほとんど感じられなかった。枝先につく新緑だけがまだそこに生命がある証だった。それでもその時私は「樹はこれほどの域に達するものなのだ」と衝撃を受けた。初めての感覚だった。
石徹白のスギは山岳信仰の象徴的な存在として知られる白山の登山道入口に立つ日本を代表するスギ。一瞬立ち枯れかと思うほどに白骨化した幹からは、初め異様な印象を受ける。だが、死を連想させるような暗いイメージはない。むしろその白は穏やかさや、神々しさすら感じさせるものだった。
春埜杉は僧行基が開山したと伝わる春埜山大光寺の境内に立つ国内屈指の巨杉。迫力などという言葉では表しきれない、圧倒的な凄みを放っていた。大きさや形だけでこの感覚にはなるまい。この樹から一体何が迸るのか。形容し難い何かが私の身体を打ったあの感覚が忘れられない。

①のパターンも②のパターンも統計を取るにはあまりにも少ない経験だけど、共通点を見出せそうで見出せない、この曖昧さが本当に面白い。これから先出会ってゆくであろう樹木たちで、同じ類のものはあるだろうか。それとも全く別の印象を受けるだろうか。想像しただけでワクワクするな。
1人で訪れて向き合うのも一生大事にしたい時間だし、誰かとその時間を共有するのも貴重な経験で捨て難い。そんなジレンマを抱えながらいつも巡っている。
興味ある人はいつでも声かけてね、響く人には本当に響くと思う🌳🌳(この差すら興味深くね?)


武雄の大クス
春埜杉
石徹白のスギ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?