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アラサーになってまでバカだと思われるのが本当に怖かった

みなさん、あけましておめでとうございます!

全員が経験したことのない、2020年が終わりましたね。もう終っちゃったんだけど、年末に出すべきnoteを年始に出します(笑)

だって、2020年この『バカだと思われるのが怖い』をちょびっと克服できたのが私にとって本当に大きくて。書き記しておかねば、と思ったのです。

いつの間にか『バカである』ことより『バカだと思われる』ことを怖いと思っていたんですよね。はー、恐ろしいし、恥ずかしい。

でも、もう恥ずかしがるのは辞めにして。もし、同じ恐怖に震える人がいるのなら、このタイトルにドキッとした人がいるのなら、その同志たちに少しの教訓だけ残して、正しく『バカである』ことを恐れて、学び・挑戦する2021年にゆこうと思います。

ただ、大した教訓ではないです。本当に。30を迎えても相変わらず弱小な私が、小さな恐怖を乗り越えるための簡単な“4つの教訓”。

『バカだと思われるのが怖い』と、どうなってしまうのか?

本題に入る前に、まずなぜバカだと思われることへの恐怖を乗り越えるべきなのかをお話しします。

結論、本当にバカになってしまう可能性があるから(震)

わかりやすくするために『バカ』と書いてしまいましたが、『無知』とか『考えが浅い』とか『勇敢でない』とか、そう言うことです。

人から愚か・劣っていると思われることを恐れていると、発信や挑戦をしなくなります。だって失敗のリスクが増える、つまりバカだと思われることが増えるから。

コレが実は大きなトラップ。正しそうなことだけしていれば、確かにバカだと思われないかもしれない。ただ、得られるメリットはそれだけなのです。
正しそうなことって、もうすでに誰かが答えを用意してくれているもの。だから、誰かの答えを引用しているだけで、自分が賢くなったようでそうではない。

一方、失敗のリスクを取って挑戦をし続ける人は、失敗しようと成功しようと、新しい発見をし、知識を知恵に変えていきます。それが、挑戦を成功させる精度を高める。

つまり、バカだと思われることを恐れているうちに、よくモノを知っているようで、本当はよく分かっていない人になってしまう。

私はそんな人間でした。でもそんな自分が好きじゃなかった。だから、そんな自分と決別しようと決意したのが2020年だったのです。

『バカだと思われるのが怖い』と本心こそ、バカそうで認めたくない、けど…

決別の第一歩は自覚です。と言いながら私は、この恐怖を自覚するまでに時間がかかってしまいました。だって…

『バカだと思われるのが怖い』

この発言自体が、めっちゃ弱そうじゃないですか?

だから、ずっと認めなくなくて。バカだと思われるのも、弱いと思われるのも、怖いし、嫌だったんです。

だって「使えない」って切り捨てられそうだから。切り捨てられるかもって考えたら、また怖くて普通じゃいられないから、そもそも自分の弱さを見て見ぬフリをしてきました。

圧倒的小物感思想!!恥ずかしい!!!!しかも、他の人にはこの弱さ、バレてたんじゃないかと思います。より恥ずかしいですね。

なぜバレてたかと思うと、弱さの片鱗って行動に現れてしまうから。

・やり切れてないところを「ここ、どうなってる?」って突っ込まれたとき、あんまり考えてないのに小賢しく「考えてたんですけど途中で〜」とか言っちゃう。
・自分が出来なかったことを、他の人が出来ちゃうと素直に喜べないし「やり方教えて〜」とか言えない。言えても何だかんだ素直に聞けてない。だからずっと出来ない。
・ミスを指摘されたときに謝って対策を行動に移すより先に、頭の中に言い訳が浮かんじゃう。口に出てなくても、それが顔に出てる。

黒歴史、つらい。身を削って20代の頃の恥ずかしエピソードを披露しました。もし、今あげたエピソードを読んでモゾモゾし始めた人は、共感性羞恥かもしれないので、ぜひ読み進めてください(笑)

このエピソードに共通しているのは、つまり「素直」になれてないってことです。

素直になれないとき、それは何か弱さを隠しているときかもしれません。「あのとき素直になれなかったな、何か隠したいものがあったのかな」と思ったときに、きちんと内省してみればよかった。

苦しいけど、一個一個でも。すぐに素直100%になれなくても、自分相手にだけは素直になって。

恐怖を克服するための一歩は自覚です。まず自分自身に素直になることが、自覚のための鍵になります。

昔の私は自覚のチャンスを逃し、いくつもの小賢しいテクニックで、『バカだと思われるのが怖い』という本心から逃げ続けてしまいました。

向き合うべきは、課題であって、人との優劣ではない

私がバカだと思われるのを怖いと思いすぎてしまった根底には、お受験至上主義で育った私に根付いている考え方がありました。

『この世の全てものには、定石や正解があって、賢さとは、それを知っていること』という考えです。

学校や受験のテストには正解と水準があります。1年生には1年生のテスト。東大に入るためには、東大に入るためのテスト。

だから、学力という側面では、正答率によって自分がどこに位置しているのかほぼ正しく把握できます。

社会人は違う。当たり前なんですけど。でも、私はそれを本当の意味で理解できていませんでした。

だから、仕事で何か分からない問題にぶち当たった時、こう考えてしまっていました。
「同じ会社、同じ年頃なら、みんなは当たり前に分かるのに、私は分からない。経験したことないけど、みんなはきっと分かってる。私だけが分からない。きっと人より劣っている」

いくつも間違いがありますね。まず、“みんな”って誰?それ考えるべきこと?やるべきことは課題の解決であって、"みんな"より何かができることではありません。

それに、何故みんなは答えが分かっていると思い込んでるんでしょうね。過去の自分を不思議に思います。

見たこともない課題と向き合って、怖いとか情けないとか思うのは、健全なことです。怖がったっていい。私は今もすぐに「何コレ!解決できるの?怖いよー!!!」ってなってます(笑)

でも「誰かより出来ない、分かってないと思われたらどうしよう?怖い」は、いらない。きっと人が人を本当に軽蔑するときって、問題に挑んで間違えたときより、問題に挑んだフリだけするときだから。

染み付いた習慣だからか、「何と向き合うべきなのか」を私は見失いがちです。だからいつも「今私が向き合っているのは課題か?周囲の人か?」と自分に問うように意識しています。

「こう思われるのが怖い…」分解して小さいことから始めよう

これまで抽象的なことを語ってきましたが、ここで語ることは実践的だと思います。全員こうすれば良いってことではないので、ひとつの手法として参考にしてください。

まず「バカだと思われることが怖い」とは、具体的にどう思われることが怖いのだろうと分解します。

私の場合は、どのタイミングで「怖い」と思ってしまったか振り返りながら洗い出しました。

たとえば、オフィスの雑談中に出た他社情報を知らなかった。化粧品業界の市場についての話題で知らないことがあった。会議で質問されたことが答えられなかった。

これを一つ一つ調べて学ぶ。それだけです。そうすれば、分からなかったあの時点よりは無知じゃない。怖さの原因を潰していきます。

このとき大切なのは、ちゃんと自分の中での答えが出せるまで学ぶこと。すると、その学んだ領域で新しい切り口で質問が飛んできても、素直に「そこまでは考えられなかったです」と答えて、また学んでいけるから。

私はこうして小さな恐怖を克服することで自信をつけると同時に、自分が無知であることを受け入れる勇気を身に付けました。

本当に怖いことってなんだ?

さて、これが私にとって一番重要だった問いです。

ずっと誰かに評価されることが怖かった。でも、もっと怖いことが頭によぎった時、そんな恐怖とるに足らないものになりました。

それは、大切なものを、自分の本当の愚かさのせいでぶち壊してしまうこと。

大切なものとは、MEDULLAやHOTARU Personalizedといった所属する会社のブランドたちであり、Spartyという会社そのものです。

約1年前の2019年末、私はSpartyにCRM担当者として入社して1年半が立とうとしていました。当時のSpartyは正社員7名。

ありがたいことにサービスは世に受け入れられつつあり、優秀な社員の入社も決まっていて、これから更なる成長を遂げていこうという最中でした。

正直その時の私は、全くと言っていいほど成果を残せていなかったのです。その時に生まれた恐怖。

たった7人のうちの一人が私で、このブランドの成長の足かせになっているのでは。でも、好きだから辞めたくない。でもただ好きなだけでこのまま居続ければ、優しい経営陣やメンバーは、出来損ないの私への対応に困ってしまうだろう。その時、私はここで笑えるだろうか。

私にとっては、何より恐ろしい未来予想。だから2020年の初めに決めたのです。

もし、2020年12月31日までに、成果を残せなかったら、この大好きな会社を自ら辞めようと。

だから、2020年は必死でした。

「こんなことも分からないの?」と思われてもいいから質問して、「うまくいくの?」と思われてもいいから試してみて。たとえ自分がダサくても評価されなくても、ブランドと会社を前に進めるために動こうと、最悪のシナリオを避けるために考え続けました。

そのとき、やっと「あぁ私は怖かったんだな」と気付いて、自分の恐れていた対象が、いかにしょうもないかを悟ることができました。

本当に大切なものにフォーカスして初めて、自分の本当の愚かさを受け入れつことができたんです。

2020年12月、滅多に褒めない弊社代表から、ねぎらいと称賛の言葉をもらうことができました。私は首の皮一枚繋がったというわけです。

もし自分の内面にある何かへの恐怖が、自分の行動を邪魔しているような感覚がある人は、一度身震いするほど避けたい最悪のシナリオを想定してみるといいかもしれません。

恐怖があなたの行動を支配するなら、それを逆手に取って、より恐れる事態をもって、小さな恐怖を乗り越える。怖がりには怖がりの覚悟の決め方があってもいいはずです。

新しい問いを立てて、2021年挑戦しよう。

「本当に怖いことってなんだ?」

常にこの問いは私の中にあり続けて、きっと今年も私のエンジンになります。ただ恐怖と向き合ってくれた去年の私のおかげで、もう一つの問いが新しいエンジンに追加されました。

「本当に叶えたい未来ってなんだ?」

恐怖を乗り越え自信をつけることができたから、私は未来を見る勇気が持てました。

本当はいつも怖がることなく、ポジティブに挑戦ができたらかっこいいけど、私はそうできなかった。

そんな自分を認めつつ、これからは未来へ視線を移して挑戦していきたい!これが2021年以降の目標です。

こんなポジティブなこと言いながら、どうせまた自分の無知や無能に落ち込むんだろうけど、まぁなんとかなるはず!それから逃げないことが大切だと、私の大切なものたちが、2020年教えてくれたから。

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