吃音症が海外大学に入学するまで【小学校高学年】#4

やっばい7カ月も気づいたら経ってました。やはり中々な飽き性なんですよね自分は。まぁもうちょっと頑張ってみますね。

という事で、始めますか。吃音の話

まず、タイトルとは関係ないけどどうしても話したい事があるのでご勘弁を。

海外大学に入学して四年目なのですが、とても感慨深い事がありましてね。オンライン上でグループプレゼンの課題がありまして、自分と他四人で発表を録画して提出したんですけど、自分そこでめちゃくちゃ吃ってしまったんです。

画面越しに喋っているだけなのに、何故か滅茶苦茶緊張しちゃって、焦って萎縮もして、二分間のセリフがボロボロだったんですね。で、撮影後に「ごめん、俺酷かったから取り直そうか?」って聞いたら

「いや俺はいいと思ったよ」「ちょっと吃ってただけで何の問題もないやん」と

こういう人は日本には中々いませんよね。特に、成績がかかっているこの状況で、吃音持ちをこうも擁護する事は出来ないはずです。多様性あふれるこの国では、吃音はただの個性として捉えられるのでしょう。

これは、教授や先生が吃っている事を採点対象にいれていないという事でもありますかね。素晴らしい。Zoomを退室した後、割とちゃんと泣きそうだったなぁ

こういう環境にいると、吃音によって感じるストレスや精神的負担がぐっと減ります。ありのままの自分が受け入れられてるような気分になるからです。

一方、小学5-6年の自分はこんなにも心にゆとりを持っていませんでした。

段々みんな自立してくる頃です。「まだ子供だからね」フィルターが段々と薄れ、自分や他人の得意不得意がわかるようになります。中学受験など、将来の事についても考え始めます。


僕の目の前は真っ暗闇でした。


自分がいかにダメで、いかに周りより劣っていて、いかにポンコツなのかを実感していました。

ちょっとでも吃ると、

相手の顔が急に険しくなります。

相手の目線がそれます。

自分の真似をして笑ってきます。

だから何だと胸を張れることが出来れば、自分はこんなにひねくれてなかったでしょう。小学生のメンタルでは、どうしようも出来ませんでした。

周りに吃音症の人がいない為、共感できないのです。自分は一人じゃない、っと思うことは出来ても確証が無いので何も変わりません。

朗読の時間は地獄でした。前に書いたかもだけど。

鋭い目線、小さな笑い声、逃げ出したいと叫ぶ心。耐え難い時間でした。

こういう時間を経験するたびに、自分のショボさを現実として受け止めることになるのです。受け止めるというのは、ポジティブなものでもなんでもなくて、自分自身に失望するという意に近い方です。


この時期から変な癖がでてきます。未だに直っていない悪癖です。

まず喋り始めるときに、体を手で叩きながらリズムをとろうとするようになりました。何か発する時、体を動かしてリズムをとると何故か喋りやすいのです。

なので、喋るときに体がユラユラ揺れる様になったり、無駄に足踏みをする様になってしまいました。不格好ですね。みんなからもっと変な目で見られるようにもなったし。

また、苦手な言葉を避けるようになりました。少しでも吃ると思ったら、言葉を言い換えたり違う言い回しをしたりするようになりました。

これが厄介で、話が食い違うようになるんですよ。だって「スポーツ」って言葉でないから「野球とかサッカーみたいなやつ」って言うんですもん、そりゃ通じない事も多くあります。

ハンドジェスチャーも圧倒的に増えましたね。できるだけ喋らずにコミュニケーションをとろうという気持ちの表れでしょう。

ハンドジェスチャーって非常に見栄えが悪いですよね、特に日常会話の中だと。落ち着きのない人みたい。まぁ実際喋っている時は落ち着きゼロでしたけど。

これらの癖は、逃げなんです。

吃音という現実からの、逃げでしかないんです。

自分が欠陥品で、普通の事も出来ないダメな奴、という事実を一回受け止めた私は、受け止める事はできても認めるはできませんでした。

まだ、小学生だから、中学生になれば直るから、と思っていました。希望をまだ持っていました。

だから、こうやって現実から逃げ続けました。ゴールがちゃんとあるとどこかで信じながら。

さて、ようやく中学生になります。

中学生の頃が一番辛かったなぁぁ

という事で、また会う日まで


では。


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