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恋と愛の違い

「恋と愛の違いは何だと思いますか?」

これを当時13歳だった私たちに問うてきたのは、中学の国語の先生だった。背が高く基本的には穏やかで、国語の先生なのに毛筆がすこぶる苦手だった。

「恋と愛の違いについて班で話し合ってみましょう」

教科書の後ろの方に載っていた、とある小説を扱っている時の話だった。江國香織さんの「デューク」。愛犬のデュークが亡くなり、悲しみに打ちひしがれるわたしの前に1人の青年が現れるというお話。

私たちの班がどのような話し合いを経て、最終的にどんな結果を導き出したかを具体的には覚えていない。ただ、最初に1人ずつ自分の考えを話す中で、私は当時読んでいた『わたしの恋人』の一節をそのまま話したことだけは記憶に残っている(やはり私は当時からこの手の感情に疎かった)。

それぞれの班の発表の後で、先生は言った。
「恋は相手に『してほしい』と思うこと、愛は相手に『してあげたい』と思うこと」

ああ、恋愛感情ってエゴなんだな。

当時の私が「エゴ」なんて言葉を知っていたかは定かではないけれども、恋を「自分本位で我儘なもの」と認識したことは確かだ。それが今の私の考えとか生き方に大きく影響しているから。

恋バナを聞くのは好きな方だと思う。思わず心臓を抑えてしまうような惚気も、手足をバタバタさせてしまう恋の芽生えの話も。
恋をしている女の子ってやっぱり最強に可愛い。

でも、そこにちょっとでも自分本位な考えが見えると私は途端にダメになってしまう。

「僕/私は彼氏/彼女なんだから相手からこう扱われるべきだ」とか、「付き合ってるんだからお互いを最優先しなくちゃいけない」とか。付き合おうが体を重ねようが結局のところ、自分以外の人間は全員他人でしかないのに、それすら忘れて相手を自分の所有物のように扱うその心理が嫌で嫌で仕方ない。

私は圧倒的に可愛げが足りない人間なんだと思う。
どこの世界に、相手から「全体的なアドバイスとしてもう少し甘えた方がいいと思う」と助言される女がいるというのか。

愛でありたいと思う。「付き合っているのだから」と筋の通らない主張を振りかざすことなく、いつだって相手のことを思える人間でいたい。

たとえば、電話をしたいと言えない。直近2回の電話が、どちらも私から声をかけたものだから。
これで3回続けて私から「電話をしたい」と口にしてしまったら、私は相手を自分勝手な感情で振り回してしまっていることになるから。フェアじゃない。愛じゃなくなってしまう。

気にしすぎている自覚はある。でも、分かってほしかった。
私にとって恋愛の中の「恋」の部分は、どうやっても下劣で醜い感情だということを。甘えるという行為が、あの時先生が言っていた「相手に『してほしい』と思うこと」でしかないと感じられて、とてつもなく抵抗があるのだということを。

誰かを好きになることも大切に想うことも、美しくて大切な感情であることに変わりはない。そう思っている。あの子もあの子も幸せになってほしいし、報われてほしい。

でも、その奥底のあるのが結局は「自分を愛してほしい」という自分本位な感情であるなら、私は「恋」という名の自己愛を軽蔑するしかない。

愚かで、いつか思い出しては恥ずかしさで頭を抱えてしまうほどの、視野の狭い恋をしたい。

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