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迷路の解き方がわからない

これをここに書くのは間違っているんだろうなと思いながら、書きます。
私の私生活の話。ううん。もっと深い、私自身のお話。

隠すことでもないと思っているので、過去の記事でも何度か話しているけれど、私はマイノリティに属している。そう自認している。

アロマンティックアセクシャル。

誰かに恋をすること。その人に触れたいと、もっと深いところで繋がりたいと思うこと。それが私にはできない。don’tではなくて、can’t。できない。

そんな自分の特性をずっと負い目のように感じて生きています。数年前は「これも私の個性だよね」なんて思いながら、わからないなりに恋愛小説を書いていたけれど、それは「私1人」の問題だった時の話なわけで。

誰かと話すこと。遊ぶこと。元を辿れば、出会うこと。自分の存在が誰かの人生に影響を与えることを、ずっと怖いと思っています。

私って本当に良くない存在。失敗ばかり後悔ばかりの人生で、過去なんて振り返りたくない。思い返して思わず笑いが溢れてしまうような日々を送りたいと思っているのに、今日も二度と思い出したくない記録ばかり生み出し続けている。

一人で生きて一人で死んでいくんだと決めたのは、高校一年生の秋のことでした。自分の性質を知り、じゃあ私は誰とも深い関係にならずに、一人でこの人生に幕を下ろそうと思いました。

恋愛や結婚が全てじゃない。そんなことはわかっています。
ゼクシィも言っていました。「結婚しなくても幸せになれる時代」って。

良い変化なんだと思います。特に、私のようなマイノリティの人たちにとっては。人生において結婚やパートナーが必要ない人も、今の日本の法律では好きな人と結婚することができない人も、きっとたくさんいるから。

でも私はやっぱり、誰かのことを好きになって、その人と結ばれることが、結婚して家庭を築くことが、正しい人生なんだなと思ってしまう。

私と同じようにマイノリティに属している人のことを否定するつもりはもちろんないです。
同性カップルの日常を届けるアカウントをフォローしたり、恋愛や性交渉を必要としない人同士がパートナーとなって日々を送っている投稿をいいねしたりします。多様性が認められる社会になることは、いいことなんだろうなと思っています(問題も多そうだけれど)。

でも、自分のことになると話は別で。私はどうしても、自分の存在を間違いだと思ってしまう。

高校一年生の秋もそうでした。
私はまともな人生を送れるわけがないから、せめて誰にも迷惑をかけずに、誰の人生も壊すことなく一人で生きていくんだって。

まともな人生を歩んでいけるであろう人の時間を奪うことが怖いです。自惚れてるとは思います。私なんかに人ひとりの人生を壊せるはずがない。いつか将来を見据えて、相手の手でこの関係は壊されるんだってわかってはいる。

でも、もし仮にまともな人生を送れるであろう人間をこちら側に道連れにしてしまったら? いつか絶対に終わるんだと思いながら、今の居心地の良さに甘えて、いずれ0に帰す関係性をだらだらと継続していくことは罪ではないの? そう考えたら、それまで当たり前に返せていたLINEをもう3日も止めてしまっています。

早く切らなくちゃいけない。でも切りたくない。我儘だ。私は一人で生きていくしかない人間なのに、この楽しくて幸せな関係をまだ続けていきたいと思っている。責任とか影響とかから、ずっと目を逸らしている。どうしたらいいのかがわからない。

友だちに「今のあなたが幸せなんだったらこのままでいいと思うよ」と言われました。考えすぎだよ。自分のことを悪いって思いすぎだよって。
でもね、人と関わりながら生きるってそういうことじゃないですか。自分の人生を壊す分には勝手に尻拭いをしてろって話だけれど、他人の人生となったら話が違うでしょう? 人の人生をなんだと思ってるんですか。

この文章に結末なんてないんです。ただここ数ヶ月抱いているもやもやをどこかに吐き出したかっただけ。
付き合い始めたとき、こんな長く続くと思ってなかったんだもん。2、3ヶ月で愛想を尽かされて、別れを切り出されるって思ってたんだもん。

それがこんな長く続いてしまって、思い出も好きなところも増えていって、どんどん覚悟が揺らいでいく。真っ当な人生を送ってほしいのに、ずっと隣にいてほしいと思ってる。

あの日、「付き合おうか」と返したその瞬間から幕を開けたこの迷路。この道の行く末を誰かが教えてくれたらいいのに。そう思っています。

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