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言葉にできない感情 『死にたがりの君に贈る物語』を読んで
綾崎隼さんの作品はいつだって狂おしいまでに切実な愛を描いていると思っているのだが、『死にたがりの君に贈る物語』もやはり深い愛を感じるお話だった。
愛にはいろいろな種類がある。
恋愛に家族愛、友だちへの愛。そして『死にたがりの君に贈る物語』のテーマの一つになっていた、読者から小説家への愛。中でもメインで描かれたのは、純恋からミマサカリオリへの愛だ。
綾崎さんはこれを「推し」と呼んでいるし、実際に本の宣伝でも「推しがいる人に読んでほしい」という文が使われている。
しかし私はどうしても、純恋の抱く愛情がただの「推し」への愛だとは思えない。
「推し」とは、欠点ですらも愛おしいと思えてしまう存在だと思っている。
ちょっとバカだけど、そこもいい。
運動が苦手なところも、逆に素敵。
純恋がミマサカリオリに寄せる感情は、これらとは明らかに異なっていると私は感じた。
「人としてかなりの問題があるけれど、一周回ってそこもいいよね」なんて、純恋は一ミリも思っていなかったはずだ。共同生活の中で、ミマサカリオリからの明確な敵意に、彼女は事あるごとに傷つけられていたのだから。
ミマサカリオリは不器用で脆い。神さまでもヒーローでもなくて、臆病なあまりに差し伸べられた手すらも掴むことができない弱い人間だった。
純恋は共同生活を通して、そのことを身をもって知ったことだろう。
それでも純恋は『Swallowtail Waltz』を、ミマサカリオリを心の底から愛している。彼女が抱く愛情は、いくらミマサカリオリから酷い言葉を投げかけられても色褪せることなんてなかった。
「あなたが嫌い!」
悲愴な声で、純恋が叫ぶ。
「皆を困らせてばかりだし、嘘つきだし、本当に大嫌い! でも、あなたの小説じゃなきゃ駄目なの!」
駄目なところも好きだと思っているのではない。欠点があることを嫌というほど知ってしまったけれど、それでもミマサカリオリの存在は純恋の中で揺るがなかった。理屈じゃない。ミマサカリオリだけが純恋の中では絶対だった。
これが「推し」という言葉でまとめられていいとは、私はどうしても思えない。
「推し」という概念を馬鹿にするつもりは毛頭ないけれど、この作品で描かれたのは、もっと深く厚く、視界に入る欠点なんて捻り潰してしまうほどの絶対的な愛情。執着に近く、命すらも容易く天秤のかけてしまうほどの呪いですらある愛情。
これをなんと呼べばいいのか。
その問いには答えられない。きっと世界中の辞書を漁ったって、この感情を説明するのに相応しい言葉なんて見つからない。
でも、それでいいじゃないかと思ってしまう。
名前があることがすべてではない。端的に単語で表すことはできないけれど、確かにそれらは誰の心にも存在している。
だからこそ、この作品はここまで多くの人の心を動かしたのではないだろうか。
377ページにも及ぶ『死にたがりの君に贈る物語』は、そういう「愛」を描いた物語だ。
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