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2020年、春。

愛でられることなく落ちた桜を、拾い集めて水に浮かべる。
今年の桜は今年にしか咲かなかった。

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2020年の春、高校3年生だった女の子が書いたnoteが目に留まった。

彼女は管弦楽部で、部活動に青春を捧げているタイプの高校生だった。
3年生になれば、最後の演奏会に向けて練習三昧の熱い日々が待っている。
どんな結果でもやり切って、清々しく感動の涙を流し、悔いなく引退するのだ。彼女も、当然のようにそう思っていた。

しかし、3年生になった春、コロナがやってきた。集大成である演奏会は中止。演奏会どころか、学校での練習すらできなくなった。

桜は来年も咲く、演奏会だってまたできる時がくる。正直に言って、きっとまた演奏できる時があるよ!とそう無責任に言われた時が、一番苦しいです。「次」なんてどこにもないんです。(中略)もそも全部、高校生、という時間のなかだったからできたことなんです。(「コロナのせいで部活を引退できなかった」むすぶ

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誰のせいでもない。
誰かに怒りをぶつけることも、責めることもできない。
演奏会だけじゃないことも分かっている。
野球部の甲子園だって、オリンピックだってそうだ。
2020年の自分、その年齢でしか経験できない瞬間に憧れて、日々を積み重ねてきたのだ。

それでも、憤りという名のやり場のない感情だけが胸に刺さる。
彼女たちはただただ、奪われた青春が音もなく過ぎていくのを、じっと待つことしかできなかった。

桜の花は毎年咲くけれど、今年の桜は今年にしか咲かなかった。
私が2020年に見た桜は、ライトアップの光を浴び、花見客の歓声を吸い込み、パシャパシャとカメラに収められた桜の花ではなかった。

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だから、どうか、お願いです。みなさんの近くに、学生に限らず、感染症によって大事なイベントや、演奏会や、発表会や、いろんなことができなくなって、塞ぎ込んでいる人がいたら、寄り添ってあげてほしい。次があるとか、我慢しろとか、簡単に言わないでほしい。苦しい気持ちを否定しないで、聞いてあげてほしいんです。(「コロナのせいで部活を引退できなかった」むすぶ

愛でられることなく落ちた桜を、ひとつひとつそっと拾い集めたのは、4月末のこと。
手のひらいっぱいの桜の花を家に持ち帰り、水に浮かべて写真を撮った。

「今だけ」のはずが、2年が経った。
コロナ禍、3度目の春がくる。

ただひたすらに、願って止まない。
あのとき奪われた彼女たちの青春が、いつかどこかで花開くことを。
満開の桜に向けられる視線が、悲哀でなく歓喜と慈愛の眼差しに戻ることを。

コロナもそろそろ終焉だ。
きっと、本当の春も近いはず。

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