統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol37

48 大智、亮純との再会
 
デイケアに通い、友達もできて、それなりに充実した日々を送っていたが、私の心には、相変わらず空洞があった。それは、大智と亮純に会えないことだった。ふとした時に、二人の事を思い、何とも言えない淋しさを感じていた。

ある日、私は勇気を出して、岡山の隆道の家に電話を掛けた。
「もしもし」
それは、亮純の声だった。声変わりして低い声になっていたが、亮純だとすぐにわかった。
「亮ちゃん!」
私は、嬉しさのあまり、弾んだ声で名前を呼んだ。
「お母さん?」
亮純が、訝りながら、私の名を呼んだ。
「元気にしている?」
私は聞いた。
「うん」
「お兄ちゃんも元気?」
「うん」
「良かった。亮ちゃんと、お兄ちゃんに会いたいよ」
「・・・俺も会いたい」
私の心は弾んだ。
「春休みに、京都に来ない?新幹線代は送るから」
「・・・・」
「亮ちゃん?」
「お父さんと、お兄ちゃんに聞いてみる」
亮純は、受話器を置いた。 

次の日に、亮純から電話があった。
「お父さんが、京都に行ってもいいって。お兄ちゃんも、お母さんに会いたいって」
隆道は、大智と亮純が京都に来ることを許してくれた。とても嬉しかった。節子も喜んでくれた。私の心は弾んだ。
(二人に会える!)

大智は春から、高校3年生になり、亮純は、中学3年生になるはずだった。2年近く二人には会っていない。
(どんなふうに成長しているだろう?)
(保との事を二人に謝らなければ・・・)
(二人と楽しく過ごせるだろうか?)
色々な考えが、逡巡した。

私は、当時流行っていたmixiに、大智と亮純が京都に来ること、二人に会えることを書き込んだ。友達から、たくさんメッセージが来た。
「大ちゃんと、亮ちゃんが、京都に来るんやって?」
好美から、電話があった。好美は中学生の時からの同級生だ。同じバスケ部で、よく遊んだ。高校生の時は、やよいたちとみんなで、よく好美の実家に泊まらせてもらった。大切な親友の一人だ。今は、陶芸家になり、窯を持ち、カフェも経営している。私の嫁ぎ先だった、岡山のお寺にも、何度も足を運んでくれた。

好美は、
「伯母さんところやったら、大ちゃんも亮ちゃんも、気を遣うんとちゃう?うちに泊まったら?」
と、言ってくれた。好美は下鴨で、一人暮らしをしていた。
「いいの?」
私は、聞いた。
「いいよ。私も大ちゃんと亮ちゃんに会いたいし」
と言ってくれて、好美の家に、三人で泊まることになった。節子は少し淋しそうだったが、
「伯母ちゃんとも一緒にご飯を食べるから」
と言ったら、納得してくれた。
 
好美の車で二人を迎えに行った。久しぶりに会った二人は、背が伸びて、なんというか、男らしくなっていた。なんとなくぎこちない空気が流れた。好美が、
「よう来たなあ、二人とも。さあ、ラーメン食べに行こう!」
と、明るく言って、一乗寺まで、車を走らせてくれた。

(謝らなきゃ。保とのことを謝らなきゃ)
と、私は思ったが、言葉にできなかった。大智も、亮純もそのことには触れずに、それぞれの学校の事などを屈託なく話してくれた。楽しい時間だった。 次の日は、好美も一緒に、節子の家で、お寿司を食べた。節子は、とても嬉しそうだったし、楽しそうだった。
「しっかり、勉強しなさいよ」
と、大智と亮純に繰り返し言った。好美と、節子のおかげで、大智と亮純と、楽しい時間を過ごすことができた。私は二人に感謝した。そして、大智と亮純を快く送り出してくれた、隆道に感謝した。


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