統合失調症でも幸せに生きられるVol27

生きているという実感

昨日は出かけたし、明日も出かけるので、今日は家で家事をしたり、掃除をしたりして、ゆっくり過ごしています。

私は一人暮らしをしています。一人暮らしをして、5年目になります。毎日自炊しています。お弁当やお惣菜は、ほぼ買いません。私は、料理が好きです。ブログを書いたり、英語の勉強をしたりして、頭を使った後に料理をすると、いい気分転換になります。

料理と違って、掃除は苦手です。でも、頑張って掃除をしています。

料理を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり…そんなことをしていると、なんというか、「生きている!」と実感できます。仕事もそうです。
「私、頑張って生きているんだな」という気がします。

私は、離婚した後で、実家の家族の暮らす東京で約半年暮らしました。息子たちを元夫の所に置いての離婚だったので、その寂しさから、オーバードラッグによる自殺未遂をしました。あの時に死んでいてもおかしくありませんでした。

京都に戻ってからも、パチンコ依存になって、毎日毎日、パチンコをして過ごしていた日々もありました。その頃は、今のような「生きている」という実感はありませんでした。ただ惰性で生きていました。目的も目標もありませんでした。

でも、今は違います。私には目標があります。それは、本を出版することです。「統合失調症や、精神疾患を抱えていても、周りの助けを得られれば、働くことだってできるし、幸せに生きることができる。だから諦めないで!」というメッセージを込めた本を出版したいのです。そして、統合失調症や精神疾患の当事者や家族を勇気づけたいし、周りの人に、病気に対する理解を深めて欲しいのです。

目標に向かって頑張っている私は、生きているという実感を感じています。

生きるのが辛いと思ったこともありました。「死にたい」と思ったこともありました。自殺未遂をしても死ななくて、「何のために生きろというのだろう?」と思ったこともありました。私のブログを読んで下さっている方の中にも、「何のために生きているのかわからない」と思っておられる方もおられるのではないでしょうか?

そんな方にお聞きしたいことがあります。3年後の自分の葬儀を思い浮かべてください。どんな弔辞を読まれたいですか?どんな人に葬儀に来て欲しいですか?

これは、「7つの習慣」の中の第2の習慣、「終わりを思い描くことから始める」の中にある問いかけです。生きる目的・目標が分からずに、惰性で生きていたとしても、私達の命は、いつか尽きます。そんな自分の葬儀を思い描くことで、これからどう生きていけばいいかというヒントが見つかるはずです。

私は自分の葬儀で、
「暮島は面白いヤツだったよな」
「暮島といたら、元気になれたよな」
と言われたいです。

生きている時間を感じながら生きること。終わりを思い描くことから始めること。目標に向かって、一生懸命に努力すること。それらを課題に、今日も、一瞬一瞬を大切に生きていきます。一瞬、一瞬の積み重ねが人生になるのですから。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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