統合失調症の私が伝えたいことVol13

20 得度式・教子の死
 
大智が7歳、亮純が5歳の時の秋に、二人は隆道の師匠の下、得度を受けた。得度式は、隆道が修行した、京都の寺で行った。得度式には、私たち家族と檀家さんの有志の方たちとが、バスで京都まで行った。常夫と房恵、節子と季美も得度式に来てくれた。
 

緊張していた大智に反して、亮純はとてもリラックスしていた。お経が始まると、亮純は居眠りを始めた。こっくりこっくりと体が揺れる。倒れてしまわないかと、ひやひやしながら見守った。
 

得度式が終わった後は、檀家さんたちと、バスで湯ノ花温泉に移動して泊まった。次の日は、トロッコ列車に乗り、嵐山観光をした。教子もとても楽しそうだった。2000年、10月の事だった。
 

その年の12月に教子は、心臓の検査を受けた。そして、バイパス手術を受けることになり、年が明けて、手術を受けるために入院した。その前の年にも教子は、心臓の治療のために入院していた。その時に、教子は2日ほど、オムツをした。私はそれを替えた。プライドの高い教子が、私にオムツを替えられるのは、屈辱的だったと思う。私は、何とも言えない気持ちになった。
「葉月さん、ありがとう」
と、教子は、小さな声で言った。
 

年が明けた1月に、教子は、バイパス手術を受けるために、また入院した。
1月には大きな寺の行事があった。病院まで送って行った私に、
「私のことはいいけえ、早く帰り」
と、気遣ってくれた。隆道が行けない時は、できるだけ病院に行った。英語の教室もあったし、とても忙しかった。でも、時間をやりくりして、病院に通った。

そんな私が教室の授業を終えて、家に帰ると、小学2年生の大智と、保育所の年中だった亮純が、私にコーヒーを淹れてくれていた。とても薄いコーヒーだったが、二人の優しさが嬉しくて、おもわず涙が出そうだった。
教子とは色々とあった。本当に色々とあった。でもやっぱり、教子は大切な存在だった。
(私にできるだけの事はしよう)
と思った。
 

2月に入ってから、大智と亮純を連れて、教子を見舞った。教子はとても嬉しそうだった。手術を受ける前に、教子はカテーテル検査を受けることになった。その日は大智の学校のスキー教室があり、隆道がスキー教室に付き添い、私が教子に付き添った。

カテーテル検査を教子は、何度も受けている。それほどの緊張感もなく、私たちはその検査を捉えていた。
カテーテル検査を受けて病室に帰ってきた教子は、とても苦しそうだった。しきりに咽喉の渇きを訴えた。私は看護師を呼びに行った。病室に来た看護師は教子を見て、顔色を変え、急いで医師を呼びに行った。医師も顔色を変え、教子をストレッチャーに乗せて、集中治療室に運んで行った。何が起きているのかわからなかった。私はたくさんの書類を渡された。そして、署名するように求められた。

後でわかったのだが、カテーテル検査の時に、血管に通した管が、血管を突き破ったのだ。それで、教子は出血していたのだ。ただならぬ雰囲気に私は心細くなり、隆道の携帯に電話を掛けた。
「家に帰ったらすぐに病院に向かうから」
と、隆道は言った。近所の親戚に大智と亮純を預けて、病院に来た隆道に医師は、義姉たちに連絡するように言った。私たちは病院で不安な時間を過ごした。

次の朝、教子は息を引き取った。私は泣いた。思い切り泣いた。教子との関係には、ずいぶん苦しんだが、それでも教子の死は悲しかった。

教子の葬儀が終わってから、英語教室の保護者の方たちに集まってもらい、教室を閉じるつもりだということを話した。皆さん、
「辞めないで欲しい」
「何か手伝えることがあればするから」
と言ってくださった。悩んだ末、私は続けることに決めた。あの時、教室を閉じていれば、私の人生は違ったものになっていただろうと、今でも、そう思う。

教子が亡くなった分、お花を生けたり、掃除をしたり、お客さんの接待をしたりと、寺の仕事で、私のやらなければいけない仕事がぐんと増えた。忙しくなった分、私は睡眠時間を削って時間のやりくりをして、日々の仕事をこなした。私は30代になったばかりで、若く元気だった。無理がきいたのだ。

教子がいなくなって、しばらくは寂しかったが、
(今日は何を言われるだろう?)
と、思って胃が痛くなることもなくなった。子供たちも元気で、隆道も優しくて、私は幸せだった。そして充実した日々を送っていた。

その頃、私は、教室の生徒の母で、自身も私の英会話教室に通ってくれていた、聡美という女性に恋をしていた。隆道の事ももちろん愛していたが、聡美を愛するもう一人の自分がいた。聡美は、中学校の教諭だった。聡明で、美しい女性だった。聡美のクラスが始まるのが、待ち遠しかった。

あるレッスンの日に、私は聡美に、ビーズでできた指輪を彼女の40歳の誕生日プレゼントに贈った。レッスンが終わり、二人で歩いていると、聡美は、私の首に手をまわして、私の頬に口づけをした。胸がドキドキして、苦しくなった。私は、聡美と唇を重ねたかった。でも、踏みとどまった。踏みとどまるしかなかった。唇を重ね合えたとして、いったい何を得られるだろう?女が女を恋することは、切ない。とても切ない。

※ここから、実家の弟の事件や父の事件で私は少しずつ心病んでいきます。でも誰もそんなことを想像していませんでした。私自身も・・・



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