統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol45

58 一人暮らし

 こうして、年金と、生活保護を受給しながら、私は、一人暮らしを始めた。初めの間は、部屋を片付けたり、必要なものを買いそろえたりするのが大変だったし、忙しかった。お金も結構出て行った。

節子と暮らした10年間、節子は一銭も私から、生活費を受け取らなかった。私は、無頓着に、思いつくままにお金を使っていた。交際費が、とても多かったのだ。まるいクリニックの前川さんと杉本さんは、連携してくれていた。心強かった。

私のお金の使い方を心配した、杉本さんは、私に社会福祉協議会の「生活支援」という金銭管理をサポートしてくれるサービスを利用したらどうか?と提案してくれた。

「生活支援」は、京都市の社会福祉協議会がやっている事業だ。窓口は、各区の社会福祉協議会だ。社会福祉協議会の、担当のスタッフと、京都市民で研修を受けた、支援員さんの二人が、私の金銭管理をサポートしてくれる。成年後見人制度は、なかなかやめるのが難しい。でも「生活支援」は、こちらの意志で、やめることもできる。支援員さんが、届いた書類を一緒に見てくれたり、銀行に一緒に行ってお金をおろしたり、家計簿を見てくれたりする。私は「生活支援」を利用することにした。

社会福祉協議会には、杉本さんが電話して申し込んでくれた。社会福祉協議会の担当の職員さんと支援員さんとの初顔合わせには、杉本さんも来てくれた。社会福祉協議会の担当のスタッフさんは、武藤さんという可愛らしい女性だった。支援員さんは杉田さんという、70代の元銀行員の女性だった。杉本さんは、
「印鑑を預かってもらって、一緒にお金をおろしてもらうサービスを利用したらどうか?」
と言ったが、私は、
「自分で出来ます」
と言って、それを断った。

でも、お金を使いすぎてしまい、家賃が引き落とせなくなった。不安になった私は社会福祉協議会に電話して、「生活支援」の、一緒に預金を下ろしてもらうサービスを利用したいという旨を伝えた。社会福祉協議会の武藤さんと杉田さんが、サービス利用に関する書類を持って家まで来て下さった。必要な書類にサインして、私は「生活支援」を利用するようになった。社会福祉協議会が、印鑑を預かってくれて、私が通帳を持ち、月に二回、杉田さんと一緒にお金を引き出すことになった、一日の予算は1500円だった。食費も、日用品も、交際費も全て含めて、一日1500円だ。やりくりは、かなり大変だった。

節子の家で暮らした間、私は一度も料理をしなかった。節子がさせてくれなかったのだ。約10年ぶりに私は料理をした。作りすぎてしまったり、材料を腐らせてしまったりで、最初は、なかなかうまくいかなかった。節子のありがたさが身に染みた。でも、一人暮らしにも少しずつ慣れていって、だんだんとうまくいくようになっていった。私は、極力自炊をした。今もできる限り、自炊をしている。

節子の家にいる時には、節子に噓をついて会っていた克之にも、びくびくせずに、堂々と会えるようになった。嘘をつかずに済む事は嬉しかった。克之は10日に一度ほど泊まりに来て、2泊ほどするようになった。色々と美味しいものを食べにお店を予約して連れて行ってくれたり、植物園や動物園に一緒に行ったりした。克之に料理を作って、一緒に食べるのも楽しかった。愛しているというのとは少し違ったが、愛されているという実感はあった。一人暮らしの寂しさが紛れもした。農家をしている克之は、新鮮な野菜をたくさん持ってきてくれた.それもありがたかった。

私は、克之に全てを話していた。孝也の事も、統合失調症の事も、離婚の事もすべてだ。克之はすべて、受け入れてくれた。自分に精神疾患があり、しかもそれが統合失調症だというのはやはり、後ろめたさがあり、引け目を感じた。病気を受け入れてくれるというのは、私にとっては、交際するうえで大切なポイントだった。

克之は、優しく、正直だったが、お酒を飲むと、うだうだとくだをまいた。元奥さんの悪口を何度も言うのには、閉口した。一人暮らしの寂しさもあり、泊まりに来てくれるのは嬉しかったが、克之が帰った後は、内心、少しほっとした。


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