統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol18

26 発病

 フィリピンから帰ってきて二日後に、お寺で大きな行事があった。フィリピンでの旅でとても疲れていたが、私は、行事の準備や、参拝客の接待をしなければならなかった。たくさんの参拝客があった。その参拝客の方たちが、私を責めているような気が、何故かした。

(一週間、全く子供たちの事を思い出さないなんて!)
(お寺の奥さんなのに、教会に行くなんて!)
(一週間も、寺を空けるなんて!)

もちろん、誰もそんな言葉を吐いていない。私が勝手に思っただけだった。でも私は参拝者の方たちと、視線を合わせることができなかった。私が勝手に思っただけだったが、本当にそんな声がしたように私は感じた。幻聴と被害妄想の始まりである。この日を境に、私は、おかしくなっていった。
 

次の日、行事の後片付けをしていたら、出かけていた隆道、彼の親友の昭が、その日に泊まりに来ると電話があった。疲れていた私は、思わず、
「なんで、今日泊まっていいって言ったん!昨日、行事が終わったばっかりやん!」
と、隆道を責めて、携帯を切った。その途端、私は両手で、自分の頬を激しく打ち始めた。
「その口が悪いんじゃ!その口が!」
そう言いながら、激しく打ち続けた。私の頬は、赤く腫れた。何が起きているのか、わからなかった。ただ、自分で自分の頬を打つのを止められなかった。
 

学校から帰ってきた亮純が、私を見て、
「お母さん、何しょうるん?」
と、最初は面白がって言ったが、自分の頬を打ち続ける私の姿に、
「お母さん!お母さん!何しょうるん!やめて!」
と、涙声で、私に抱きついてきた。
 私は、教子の霊が降りてきたのだと、思った。
(その口が悪いんじゃ!その口が!)
そんな声が、頭の中で響き続けた。

帰宅した隆道に、私は、
「本堂に行って、お義母さんに、お経をあげて!」
と、頼んだ。そして、学校から帰ってきた大智と、亮純と4人で、本堂で拝んだ。なぜだか、涙がぽろぽろこぼれた。それからは、毎日4人で、本堂で拝んだ。そんな状態でも英語教室は、続けていた。

ある日、教室で中学生を教えている時に、突然、言葉が全く出てこなくなった。私は教室を出て、隆道たちが暮らす庫裡へと走った。私は隆道に、言葉が出ないということを身振りで伝えた。隆道は驚き、教室の生徒たちに、
「先生は、今日はちょっと体調が悪いみたいなんだ」
と伝えてくれて、生徒たちには自習をしてもらった。
生徒たちが帰った後で、ソファーに倒れこんだ私の頭の中に、次々と言葉が浮かんだ。

(なんで、声が出ないのだろう?)
(なんで、孝也は覚せい剤なんかに手を染めたのだろう?)
(なんで、常夫は訴えられたのだろう?)
(なんで、房恵に500万円も貸したのだろう?)
(なんで、教子ともっと仲良くできなかったのだろう?)
(なんで、大智と亮純がいるのに、こんなに仕事をしているのだろう?)
頭の中に「なんで?」という言葉が、渦巻いた。

そして、突然、頭の中が、炭酸水が噴き出すみたいに、シュワッとなり、その後で、真っ白になって、何も考えられなくなった。
(もう何も考えなくていいのだ!)
と、私は思った。何も考えなくていい。私はほっとした。それは、嬉しくさえあった。それぐらい、私は、色々なことを頭に詰め込んで、考え込んでいたのだ。

隆道と話し合い、私はしばらく、レッスンを休むことにした。生徒たちには、隆道が、電話で連絡してくれた。
「ゆっくり休みいよ。疲れがたまっとるんじゃ。ゆっくり休めば、きっとよくなるけえ」
そう言って、隆道は私の肩を優しく抱いて言った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?