心を磨く

「最強の独学仕事術」 赤羽雄二氏著
「生き方」 稲盛和夫氏著


心の安全基地

この間の日曜日は、LAUNDRY CAFEであった英語のイベントに参加してきてきました。英語のブラッシュアップのためと、外国人の方や日本人の方と交流するために、行ける時は、英語のイベントに参加しています。その日もタイの方やスペインの方、アメリカの方など、すごく素敵な出逢いがありました。英語や日本語で話して、楽しい時間を過ごしました。また参加したいと思います。

水曜日は、妙さんのカウンセリングを受けました。妙さんは、私自身について、自分では気づいていないことを引き出してくださいます。この間引き出してくださったのは、父や、生みの母と育ての母に対しての感謝の気持ちです。

私の父は事業をしていて、すごく忙しい日々を過ごしていました。そんな風に忙しい日々を過ごしていても、私や弟たちをスキーに連れて行ってくれたり、海水浴に連れて行ってくれたりと、色々な所へ連れて行ってくれました。

生みの母とは10歳までしか一緒にいませんでした。でも私が、「○○ってどういう意味?」と尋ねると、必ず最後まで答えてくれました。決して、適当にお茶を濁すことはしませんでした。

育ての母は、私が長男を産むとき、新幹線に飛び乗って来てくれて、寒い病院の廊下で、一晩中長男が生まれてくるのを待ってくれました。長男と次男を本当にかわいがってくれました。

「あんな風にしてほしかった」「こんなことはしないで欲しかった」と、父や母それぞれに対して思うこともあります。妙さんは、その感情も吐き出すようにと言って下さいました。そんな感情を吐き出したうえで、自然に父や二人の母に対しての感謝が湧いてきたのです。それは私の心にぬくもりを与えました。

LAUNDRY CAFE nも、妙さんのカウンセリングも、私にとっては、「心の安全基地」です。

赤羽雄二さんは著書の「最強の独学仕事術」の中で、「心の安全基地」を持つことの大切さを次のように説いておられます。

「『安全基地』とは安心して話し、心のよりどころとなり、心配なく身を寄せることのできる相手です。」

「心の『安全基地』を作れるかどうかは、自分の努力と運次第です」

「『安全基地』がないと、自己肯定感が低く、自分に自信が持てず、仕事に全力投球できない状況が続くのです」

「心の『安全基地』を作れるかどうかは、自分の努力と運次第です」という個所には、とても共感します。私はありがたいことにたくさんの「心の『安全基地』」を持っています。でも、「心の『安全基地』」を得るために、自らそこに出向いたり、人に会ったり、妙さんと一緒にやっているCrossroadsという会のように、自ら会を作ったりと努力してきました。病気のことを自己開示するという努力もしてきました。

自己開示するというのは勇気がいることです。でも、私が、『安全基地』と思える人達やコミュニティは、そんな「ありのままの私」を受け入れてくれました。「ありのままの私」を受け入れてもらえたことによって、自己肯定感が上がりました。それによって、さらに自己開示できました。好循環が生まれました。

「自分には『安全基地』なんてないよ」と諦めかけている方もいるでしょう。でも本当にそうでしょうか?一人でもいいのです。安心して、ありのままの自分を出せる人が一人でもいないでしょうか?

「心の『安全基地』を持つこと」、それは本当に大切なことです。自己肯定感を上げてくれます。自分をもっと好きになることができます。たくさんの『安全基地』に励まされて、救われてきた私です。今度は、私自身が誰かにとっての『安全基地』になっていきたいです。


今日も「生き方」で学びたいと思います。

心を磨く

「私たちの人生とは、私たちの人間性を高めるためのプロセスにほかならない」

「心を高めるということは、いったいどういうことなのでしょうか。それは、けっして悟りの境地、いわば至高の禅的境地に達するなどという、難しい話ではなく、生まれた時よりも少しでも美しい心になって死んでいくことではないかと思います」

「なるほど人生は、宇宙のとてつもなく長い歴史からすれば、わずかな一閃に過ぎないものかもしれない。しかしだからこそ、その一瞬に満たない生の始まりよりは終わりの価値を高めることに、われわれの生の意義も目的もある。私はそう考えています。もっといえば、そうであろうと努める過程そのものに人間の尊さがあり、生の本質があるのだと思います」

「さまざまに苦を味わい、悲しみ、悩み、もがきながらも、生きる喜び、楽しみも知り、幸福を手に入れる。そのようなもろもろの様相を繰り返しながら、一度きりしかない現世の生を懸命に生きていく」

「その体験、その過程を磨き砂としておのれの心を磨き上げ、人生を生き始めたころの魂よりも、その幕を閉じようとするときの魂のありようをわずかなりとも高める。それができれば、それだけでわれわれの人生は十分に生きた価値があるというものです」


懸命に生きる

今日の「生き方」の箇所もとても心に刺さりました。特に、
「人生を生き始めたころの魂よりも、その幕を閉じようとするときの魂のありようをわずかなりとも高める。それができれば、それだけでわれわれの人生は十分に生きた価値があるというものです」
というところが心に刺さりました。

「生きる目的が分からない」「人生の意義が分からない」と思うことはあります。私はありました。病気になって離婚して、息子たちと離ればなれで暮らす辛さと淋しさに耐え切れずに、自殺未遂をしました。本当に辛かったです。

生きていると辛いこと、悲しいことはたくさんあります。別れも経験します。でも、そんな辛さや悲しさにもがき苦しんでも、私たちは、今ある生を一生懸命に生きていかなければならないのです。生きて、生きて、生きて・・・そして、生を受けた時より、少しでも美しい心になって死んでいかなければならないのです。「一生懸命、命を燃やして生きること」「始まりより少しでも美しい心になっていること」それこそが生きる意義であり、目的なのです。

「私は命を燃やして生きているだろうか?」
「生まれた時より、少しでも美しい心になっているだろうか?」
と自分に問いかけました。答えはわかりません。でも、そうありたいと強く思っています。

この世に生まれ落ちたこと。それだけで奇跡的なのです。生きていること、それだけで素晴らしいことなのです。だからこそ、感謝して、そして一生懸命生きていかなければならないのです。

そう、心を磨きながら!

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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