(BL小説)旅の終着 第四話

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 笛吹きの旅人、詠心の噂が都でちらほらと流れるようになった。半分は千里が布教したものだが、詠心の笛の音を聴いた者はみな詠心を褒め称え、周囲に話をするのだ。当然、人々は毎日のように輝信に呼ばれている事も知っていた。
 だからこそ、事件が起きてしまったのである。
「この可愛い嬢ちゃんを返してほしけりゃ、設楽輝信を殺してこい」
「毎日出入りするお前ならできるだろう? この短筒で一発、奴の脳天をぶち抜くだけでいい。簡単だろ?」
「撃つのは心臓でもいいぜ。もし失敗したら……これがどうなるかわかるよなあ」
 午の刻、人気の無い道端で詠心を囲んだ三人の男は順にそう言った。一人が気絶した千里を抱えている。最も背が高く、筋肉質な男は詠心に短筒を渡した。
「もし、設楽様を撃てば……千里を返してくれるのか?」
「ああ、こいつの命もお前の命もどうでもいいからな。その代わり上手くやれたら褒美をくれてやる」
 男らはそのまま詠心に背を向けて馬に跨った。詠心は短筒の先を立ち去る男らに向ける。だが直ぐに下ろし、走って後ろを追いかけた。
 詠心は途中で男らの姿を見失ったが、遠くに聴こえる馬の足音を追って走った。途中から千里が目を覚ましたらしい。泣き叫び、詠心の名を呼ふ声も聞こえた。
「えーしん! えーしん助けて、えーしん!」
―すまない千里。本当にすまない。私のせいで……―
 その声が詠心の耳と心に刺さり、走りながら心の中で何度も千里に謝る。詠心は道行く人に話し掛けられたのも無視して、生まれつき人と比べ物にならないほど良かった聴力だけを頼りに必死に追い掛ける。そしてついに男らの拠点らしき小屋にまで辿り着いた。
 しかし詠心は戦に出た事はおろか、人と殴り合った事も無い。しかも毎日龍笛を吹き続けたお陰で肺は強靭だが、足腰の強さは人並みだ。散々走ったせいで既に足は棒のようである。元々激しく動き回るような体力も人と争える程の腕力も持ち合わせていない。その上腕っ節の強い友人も近場には居ない。しかも全速力で走り続けたせいで先程から目眩が止まらない。この状況は絶望的だった。
―自分が死んででも助けられれば―
 そう思ったが、そうは行かない。現時点、奴らにとって千里と詠心は生きていても死んでもどちらでもいいのだ。捨て身で乗り込んでもあっさり捕まって千里と仲良く絶命するだけである。焦ってははいたが、自分の力量と行動の結果を想像できるだけの冷静さは持ち合わせていた。
「何か最善の策は……誰か……」
 そう呟いてから、一人だけ自分たちを助けてくれそうな人がいる事を思い出す。
「設楽様なら、あの御方ならば助けてくださるかもしれない」
 詠心は以前、輝信がかつて天下を取った九神直義と組んで戦に出ていた事、それ以前から「西海の鬼」と呼ばれる程の強さを持っている事を聞いていた。それに輝信には兵を動かす権限もある筈だ。
 詠心は葛藤した。下賤の身である自分如きが輝信に願い出ても良いのか。そして「あの」輝信だ。自分との情交を求める男だ。
「背に腹は変えられないか……」
 千里の無事と自分の貞操など天秤にかける間も無い。詠心は腹を括って都に戻った。

「どうした、腹でも痛えのか?」
 輝信の屋敷に着いてから、詠心は自分でも分かるくらい挙動不審だった。一切輝信の方を見れず、手足は震え、気温は低いのに額には汗をかき、上手く喋れない。どう上手く切り出すべきかぐるぐると頭で考えていたが、思考を全て放棄して座り込んだ勢いのまま輝信に土下座した。
「設楽様! どうか……どうかお助けください!」
「待て待て、何があった?」
 輝信は詠心の頭を上げさせようとするが、詠心は「お助けください」と叫び続ける。
「私に……貴方様を暗殺するよう仕向けられました」
「そら、難儀やなあ」
 詠心の必死の訴えとは裏腹に、輝信は呑気な口調で答えた。詠心は自分の言葉が通じなかったのかと一瞬顔を上げる。目が合ってから輝信は冷静に問うた。
「そんで、仕向けられたと言うのは?」
 一応ちゃんと伝わっていたらしい。滅多に見られない真剣な顔で問うた。その様子に詠心も少し落ち着きを取り戻し、順を追って初めから説明する。
「貴方様の御身を狙う輩に私に懐いている農民の子が拐かされました。代わりに私にこれを」
 そう言い、詠心は懐から古い短筒を取り出す。輝信にはばれていないだろうが、詠心の手は小刻みに震えていた。
「病弱ゆえ、戦に出た経験も無い私に貴方様を打つのは不可能に御座います。それでなくとも私には貴方様にこんな物は向けられませぬ。しかしやらねば、あの子の命は……」
 今ではかなり丈夫になったが、詠心は幼少期からあまり体が強くはなかった。季節の変わり目や暑さ、寒さの厳しい日には必ず熱を出して寝込み、少し走るだけでも目が回って胃が空になるまで吐いていた。大人になるにつれて頻度は減ったものの、正直旅の最中に体調を崩したときは、医者も呼べずそこらで野垂れ死ぬものだと思ったぐらいだ。だから当然、武器の扱い方など知らない。どこをどうすれば撃てるのかも分からない。もたついているうちに謀反で捕まるだけである。
 それに輝信には、母と乳母の次に世話になっている。確かに輝信から向けられる視線や感情は受け入れ難いが、そう簡単に邪険にできないのも事実だ。詠心は真っ直ぐ輝信を見て居住まいを正し、再び畳に手をついて頭を下げた。
「下賤な身の上で勝手な事を申し上げているのは分かっておりまする。ですが……私には貴方様に白状し縋る他に無いのです。私はどうなっても構いませぬ。貴方様が望むならばこの身を喜んで差し出します。無礼は承知の上です。あの子が助かったなら、命とあらば腹を切ります。何も厭う事は御座いません。どうか……どうか……」
 詠心に輝信の顔は見えない。どんな目で、表情で自分を見ているか分からない。その視線は冷ややかなものだろうか。都合のいい勝手な奴だと自分を嘲笑しているだろうか。何でも良い。ただ娘のように可愛いあの子が助かるのなら、詠心は自分の命も尊厳も貞操も自由も何も要らないと思った。
「じゃあちょっくら行ってくっか」
 詠心の覚悟とは真逆に、まるで「散歩に行くか」という軽さで輝信は言った。立ち上がって家臣を呼びつけ、短いやり取りをしてから輝信を振り返った。
「お前さんはここで待ってな」
「いいえ、私も行きまする! 連れて行ってくださいませ。貴方様の邪魔はしません」
「見たくねえモン見るかもしれねえぞ?」
 詠心は立ち上がって頷く。役立たずなのは分かっているが、居ても立ってもいられないのだ。何より、輝信を危険な目に合わせるのに自分が安全なところで待つわけにはいかない。最悪盾くらいにはなれるだろう。
 それから半刻程度で準備を済ませ、輝信は四頭の馬と三人の家臣、そして詠心を連れて屋敷を出た。

第五話は明日、7月12日午後公開予定です


原作はこちら

『非天の華』著 : 葛城 惶


原作…葛城 惶さま(@1962nekomata)

表紙…松本コウさま(@oyakoukoudesu1)