(BL小説)旅の終着 第七話
―設楽様の為に生きよう。私はあの御方と共に生きるのだ―
もう決めたのだ。七瀬を巡って詠心は心の中でそう強く誓った。
七瀬を去る前に数年ぶりに髭を剃り、髪の毛先を切りそろえて梳かし、身なりを整えた。一度生家へと赴き、初めて冠までも身につけて詠心は手紙の主の元へ向かった。手紙を寄越した張本人であり、斎主である異母兄と御簾越しに対面する為だ。
詠心自身も母の死後に知った事だが、詠心の父は先代の斎主であった。だが詠心は父を見た事も無ければ、母からその話を聞いた事も無い。母が一度も語らなかった理由は分からないが、きっと詠心の身を案じていたのだろう。だから他人から自分の出生を聞いても、詠心はそれを受け入れなかった。しかしいくら詠心が否定したところで、向こうはそういうわけにはいかない。旅に出た理由の一つは、母と同じように詠心自身も権力争いや宮中の陰謀に巻き込まれたくなかったからだ。
義兄は詠心を歓迎した。義兄が東宮だった時代に何度か会った事がある。当時は何も知らなかったのだ。優しくて賢い、良き兄だった。御簾越しに声を聞いて、今は立場が違うが、中身はあの頃とさして変わらないのだろうと思う。否、同じであってくれと願った。
「無位無官の一人の人として生きとうございます」
父の遺言通り詠心に臣籍を授けたい、とのお言葉に、詠心は先の言葉を述べて辞退を申し出た。そして輝信と共に在りたいという旨の意思を告げる。周囲は何度かざわつき、輝信の名に過剰な反応を示した者もいたが、義兄からは快諾を頂く事ができた。これでもう詠心の枷となるものは何もない。無事に話を済ませられた事に胸を撫で下ろす。そして退出してから冠を脱いで、素早くいつもの小袖に着替え、輝信の居る屋敷を目指した。
屋敷に着いてから、輝信の家臣は疑いの目で何度も詠心に名を聞いた。
「ですから、私が詠心で……」
「本当に詠心が帰って来たのか?」
家臣からの報告を聞いたらしい。輝信が泣きそうな顔で駆け寄ってきた。他の者は半信半疑だが、輝信はひと目で詠心だと信じた。だが他の者はそれを認めない。証拠にと詠心は龍笛を取り出し、皆が聞き慣れた『白勢の鬼神』を奏でた。
「いつ聴いても最高やなあ、詠心。それよりも今は断りも無く急に居なくなった事への弁明をしてもろうて良いか? あんた、この約一ヶ月間何処で何をしていた? そしてその格好は何だ?」
輝信が笑ったのも束の間、詠心に鋭い視線を向ける。間違いなく何も言わず立ち去った事を怒っている。だが怯んではいられない。詠心は臆する事無く、輝信を見据えて静かに言った。
「七瀬の海を見て参りました」
一度ぺこりと頭を下げてから言葉を続ける。
「何も告げすに都を出た事はどうかお許しください。私は白勢頼隆様……『白勢の鬼神』ではなく、貴方様の曲を奏でたいと思い、七瀬の港で海の音を聴いておりました」
「ほう、俺の曲とやらは完成したのか?」
「はい。この場で吹いても宜しいでしょうか?」
ここで良いと思っていたが、詠心は輝信の部屋へと連れて行かれた。自分の部屋で吹け、という事らしい。輝信らしい独占欲である。部屋に着いてから着座し、龍笛を構える。海を見ながら何度も練習したのだから、失敗はしない筈だ。自分にそう言い聞かせ、慎重に歌口に息を吹き込む。
詠心が演奏している間、輝信は詠心を見ていた。以前はやり辛く感じたが、今はその視線が嬉しい。一小節、一音、決して気を抜かず、心を込めて愛する者の為に奏した。
やがて曲が終わり、詠心は再び畳に手をついて一礼する。
「以上で御座います」
「悪くないな。いや、今まで聴いた中で最高だ」
「勿体無いお言葉で御座います」
―お気に召していただけて良かった―
輝信の心からの賛辞に詠心はほっと息を吐いた。この曲を本当に気に入ってくれたようだ。
「やっぱり俺はあんたが欲しい」
もう我慢はできない、と言うように輝信は言った。詠心は覚悟を決めて、かつて自分が投げた言葉をもう一度口にする。
「私は白勢様の代わりにはなれませぬ」
「前も言ったがあんたと頼隆は違う。俺は詠心が欲しいと言ったんだ」
「私は耕す田も帰る家も持たぬ放浪者です」
「ここに住めば良いだろう」
「貴方様とは不釣り合いの身分で御座います」
「本当にそうか?」
「身分は関係ねえ」そう言われると思っていたが、不意打ちで返される。輝信に何かを見透かされたようでどきりとした。詠心はつい、自分の太腿の辺りで小袖ごと手を握りしめる。
「私は……笛で日銭を稼ぐ流れ者で御座います」
「てっきりどこぞの国の妾の子だと思ったんだが、外れか。まあどの道正妻にはしてやれんのがな」
輝信はさして興味も無さそうにそう言った。何処で感づかれたのだろうか。いつから見抜いていたのか。まさか義兄の遣いが輝信の元へ来たのか。理由は分からない。輝信は珍しく詠心から目を逸らしている。詠心の癖すらも気付いているだろう。少し間を開けてから輝信はもう一度向き直り、詠心に問うた。
「で? 他に俺を拒む理由は?」
「ありませぬ」
「無いならばこのままあんたを俺の女にするぞ?」
その言葉と共に輝信は詠心に向かって右手を伸ばした。ゆっくりと伸ばされた右手を、詠心は自分の両手で包む。
いつかの勘違いを除いて、初めて詠心が自らの意思で輝信に触れたのだ。
第八話は明後日、7月16日午後公開予定です。明日の更新はお休みします。代わりにツイッターにて、二人の初夜を公開予定です。(次回が最終話となります)
葉月のツイッターは @Haduki_Novel です。是非覗きに来てくださいませ。
詠心と斎主(義兄)との詳しいやりとりはこちらでご覧いただけます(作品内容は健全ですが、サイトの閲覧は18歳以上の方のみ可となっております)
原作はこちら
『非天の華』著 : 葛城 惶
原作…葛城 惶さま(@1962nekomata)
表紙…松本コウさま(@oyakoukoudesu1)