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NONスピリチュアリズム

本当のスピリチュアルとは?

これは、スピリチュアルの話であるが、決していわゆるスピ系の話ではない。こういうことを言い出すと、そもそも、スピリチュアルとは何ぞや?という議論になってしまうが、要は、そういうことだ。

「スピリチュアルとは何ぞや?」

この議題を、あくまでも私の個人的な視点から話していきたい。でも、決して誤解してほしくないのだが、私はスピリチュアル系の話は好きな方である。都市伝説など、御馳走レベルである。ちょっとした不思議系の都市伝説とか、ああいった話は、一番の好物だったりする。ただそれでも、胡散臭いものは、嫌いだ。どうせ胡散臭いのであれば、テレビ東京の『やりすぎ都市伝説』における、ケンコバさんの話くらい、胡散臭いものであって欲しい。あのくらい、ネタとして昇華できるのであれば、それはそれで賞賛に値するものだ。

では、実際に、私がどういった話が胡散臭いと感じるかというと、これは、ここ数年時間が経過するにしたがって、私の中ではっきりとしてきたことなのであるが、それは、「自分の言葉で語っていない、自称スピ系の人の語り口」である。これだけだと、ちょっとわかりにくいかも、と思うので、順を追って説明していきたい。

3つのチャネリングのパターン

そもそも、こういったスピリチュアル系の人は、「チャネリング」という方式で、『あちらの人』と交信しているとされている。
ただ、この、チャネリングという方式が、通常2通りあるということは、あまり知られていない。そして、今回私がここでいうチャネリングには、
新しい(?)3通り目の方式があるということを、提言したい。

さて、まずはその1番目のチャネリングから説明していく。
これは、ある意味、本物のチャネリングである。これこそチャネリング、というものだ。それは、「フルトランス」と呼ばれる方式で、文字通り、自分の身体を、その存在に明け渡して、そのままトランス状態に入ることによって、その存在と交信するというものだ。

この方式を使ったチャネラーとして最も有名な人は、おそらくは、エドガー・ケーシー氏であろう。彼は、日本では特に預言者として有名な方ではあるが、チャネリングをすることによって、様々な情報、特に医療系の情報を引き出すことによって、彼を頼ってくる方たちに対し、ひたすらその人助けをすることで、その人生を終えた人である。

ただ、彼はチャネリングをすると、自分の意識を無くしてしまうので、「チャネリングをしている時間」の記憶を持たない。それゆえ、常に彼をサポートする人を必要とした。
チャネリングをするときには、常に、録音機材を用意して、その「時」に備えなければならない。これが、いわゆる『フル・トランス状態』でのチャネリングであり、私は、これこそがチャネリングだと思っている。
おそらくは、日本でいう、イタコのようなものだ。まあ、最近、本物のイタコがまだ存在しているのかどうか知らないが、あのイタコという存在も、本来巫女の一種であるから、かつてはそれなりの方が確実にいらっしゃったのであろう。

イタコは、日本の北東北(東北地方の北部)で口寄せ[1]を行う巫女のことであり、巫の一種。シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職である。南東北(東北地方の南部)においては、旧仙台藩領域(岩手県の南側約1/3と宮城県)でオガミサマ、山形県でオナカマ、福島県でミコサマ、オガミヤと呼ばれる。福島県・山形県・茨城県ではワカサマとも呼ばれる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、次に、2番目のチャネリングである。基本的には、これが一般的な手法であるが、「意識がある状態で、その存在と交信して、タイムリーにその言葉を文字ベースに変換する」というものだ。ここで、「文字ベースに変換する」と書いたが、これは、口頭のものもあるだろうし、テキストベースの文章で表現する人もいる。

正直言って、この辺りから怪しくなるのではあるが、まあ、これが実際にできている方もいらっしゃるのだと思う。最も有名な人は、今も存命な、ダリル・アンカ氏であろう。あの、バシャールとチャネリングしている人だ。
この方式で最も特異なことは、意識をあちらの存在とチューニングしながら、こちらの言語で喋ることができるということだ。

これは、この世界でいう、言語の同時通訳みたいなものであって、自分が受け取った情報を、この世の、この世界の言語に変換するというものだ。これは、実際にやろうとすると、恐ろしいほどの『困難』な作業だと思う。
そもそも、あちらの世界の言語自体(固有名詞・概念・文法を含む)知らない状態で、そのメッセージを受け取り、かつ、その情報を、この世の言語に翻訳するという作業なのだ。ちょっと想像してみれば、その困難さが理解できるはずだ。

実は、私自身も、似たようなことはする。あえて、「できる」とは言わない。そもそも、私がやっているのは、実際、チャネリングではない。私がチューニング(交信)するのは、あちらの存在ではないのだ。それは、こちらの存在。つまり、生きている人間である。
私の手法は、漫画のドラゴンボールでいう「氣を感じる」というのが最も近い。相手の存在そのものを感じるのだ。その上で、必要であれば、そこから得た情報を、依頼主にお伝えする。情報は、いわゆるテレパシーのような状態で感じ取る。その情報を、文字ベースに変換するのだ。

これは、もともと日本語の情報から日本語への変換なのであるが、それでも結構言葉に詰まるし、言葉はスラスラ出てこない。実際、言葉を選ぶのに、いつも苦労する。でも、私の場合、相手を特定する作業を、写真でも、その人の名刺でもできる。そこだけが普通と違う点かもしれない。
まあ、ただ、今回は、私の話はチャネリングの話と直接的には関係ないので、基本的にこの話はこれで終わりとする。

さて、話を戻そう。
チャネリングとその言葉の翻訳の話だ。これは、確かに、もともとの情報はテレパシーで受け取ったものだから、言語化するのはそれほど困難ではないという人もいるだろう。でも、そもそも住んでいる世界も違えば、次元も違うかもしれないのだ。つまり、あちらの世界は、この世界には存在しない概念だらけの世界かもしれないのである。そんなもの、まともに言語化できるものではない。この世界のものだって、言語化するのは容易ではないのだ。もともとの情報がテレパシーという、漠然とした情報群であれば、なおさらだ、と私は考える。

それゆえに、3番目のチャネリング方式というものが存在すると想定される。その3番目のチャネリングとは、「自称チャネラー」の言う、『戯言』(ざれごと)であり、『誰かが言ったことを真似た文言』の数々である。
要するに、ろくにチャネリング能力など持ち合わせていない馬鹿どもが、チャネリングができるとほざいて、イメージで適当なことを言っているに違いないということだ。

なんか、唐突に私の口ぶりが攻撃的になったのを見て、びっくりした人もいるかもしれないが、世の中のスピ系の人達は、だいたいこんな輩たちである。間違いない。断言する。
その根拠として言えることは、そんな人たちの発言は、だいたい似通っている。そもそも、チャネリング自体まともにできていないのだから、誰かの言ったことを、ただ踏襲しているに過ぎない。先人の、もしくは他のチャネラー(自称チャネラーの存在も含む)の発言を辿っているだけだ。

実際、「前世はエジプトの王だった」とか、「地球人やっているの、疲れちゃった」などとほざく馬鹿どもが、ネットでは教祖様扱いされていたりするのが現実なのだが、もう、ホントにどうしたものかと思っている。
まあ、中には「本物」もいるの「かも」しれないが、スピリチュアルヒーラーと呼ばれているような人の90%はまがいものであろう。そもそも、世の中、なんでもそうだが、だいたい10%くらいしか、本物は存在しないものだ。そして、残りの90%が幅を利かす。それが、この世だ。
そのこと自体は仕方ないと思っている。なぜなら、それがこの世の常だからだ。諸行無常というやつだ。ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、という、太古の昔から繰り返されてきた、世の中の現実である。

ただ、この2番目のチャネリングと3番目のチャネリングに関して、その見極めが非常に難しいのが、問題なのだ。実際のところ、それは困難というか、ほぼ不可能に近い。

というのは、3つ目のチャネリングに関しては、「なんとなくそのメッセージを受け取った」と言われたらそれまでだからだ。それ自体、一切検証のしようがないし、そもそも、人の言葉を借りて喋っているのだから、言葉自体、曖昧なところはあるだろうし、受け取ったメッセージはテレパシーなのだから、言葉にすると、うまく表現できないのだと言われたら、それまでなのである。

でも、3番目のチャネリングに関して、私が最も忌み嫌うのは、どこかの誰かが書物やネットの中で語っている言葉、特に、固有名詞の使い方に関してである。

ここでいう固有名詞というのは、要するに、人の名前とか、星の名前だ。シリウスとか、アルクトゥルスとか、ラムセス二世とか、そういうやつだ。

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ラメセス2世、ラムセ2世とも表記される。ラムセスという名は、ラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みである。なお、ラムセス3世以降の同名を称する第20王朝のファラオとの血縁関係は無いとされる。即位名はウセルマアトラー・セテプエンラー(User-maat-Ra Setep-en-Ra)。これは「ラーのマート(正義、真理、宇宙の秩序などの意)は力強い、ラーに選ばれし者」を意味し、これをギリシャ語訳した「オジマンディアス(コイネー:Οσυμανδύας、Osymandýas)」の名でも知られる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こういう星の名前だったり、人の名前だったりを、非常に軽々しく使用する輩が存在する。それが、非常に気に食わない。知ったかぶりで話すからだ。そもそも、シリウスやアルクトゥルスに関しては、星の名前だが、シリウスに至っては、この世の次元には存在しないものだと聞く。そんな存在が、てめえごときに話しかけてくるわけがねぇだろう!というのが、私の見解だ。

ラムセス二世に関しては、かつてエジプトに実在した人物であるらしいが、私は今まで、自称その生まれ変わりだという人に、数人会ったことがある(笑)。その中には確かに本物もいるのかもしれないが(まあ、一応、可能性そのものは、否定しない)、そのほとんど(個人的な推察によれば、その全てである)が、戯言に過ぎないと、確信している。
そういうやつらは、そのほとんどが、決まってびっくりするほど横柄な奴らである(笑)。
ラムセス二世は、アブ・シンベル宮殿にある像で有名な王様であるが、彼が「かつて王様であった」ということで、自分も横柄な態度が許されるものと、その生まれ変わりを名乗る馬鹿どもは、勝手な解釈をしている。それこそ、本物の王様は、そんなこと、決して許さないであろうに……。

さて、話はそもそも固有名詞の話だった。話を戻そう。
それで、結局私が何が言いたいかというと、チャネリングという方式でつながったあちらの存在からのメッセージが、それほど具体的な固有名詞に、簡単に言語化・変換されるわけがないと、私は確信しているということだ。

これが、フルトランスという、完全なるチャネリング(1番目のチャネリング方式)だったら、話は別だ。「なんとなく、そう思った」のなら、「なんちゃってチャネリング」とか言えばいい(まあ、そんなこと口が裂けても言えないであろうが)。そのあたりが、非常に気持ち悪く感じるのだ。

私も、チャネリングではないが、人の存在を感じ、その人そのものを感じて、その存在が「どのような人」なのかということを感じるということはできるということは、前述した通りだ。でも、だからこそ、その、言語化の難しさというものを、身に染みて感じているのだ。この、言語化という作業は、実際、簡単なものではない。やってみれば、わかる(まあ、なんちゃってチャネラーにはできるわけがないが)。
私の場合、言語変換する元の情報が「生きている日本人の言語」であってさえ、このレベルでしかない。それが、全く別の次元の、未知の生命体であった場合、彼らから受け取った、この世に存在しない概念を表現することは、まさに困難を極めることだろうと、安易に想像できる。

ちなみに、『ラー文書「一なるものの法則」』という書籍が存在する。これは、フルトランス状態におけるチャネリング(1番目のチャネリング方式)によって書かれた書物だ。これを読むとわかるが、そこに書かれた文章は、実際、非常に読みづらい。おそらくその原因は、元の言葉の概念が難しいため、言語化が不可能なものが至る所に存在することに由来する。

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『ラー文書「一なるものの法則」』(ラーぶんしょ いちなるもののほうそく、原題: The law of one ‐ Book Ⅰ ‐ The Ra Material)は、ドン・エルキンズ、カーラ・ルカート、ジェームズ・マッカーティの著作で、チャネリングによるとされる。1984年に米国のシファー出版から刊行された。当初、The Ra Materialであった原題が、のちに The law of one ‐ Book Ⅰに変更された。本書は、地球外生命体との交信を試みる目的で行われた、26回の実験的なセッションの録音を正確を期して書き起こしたもの、とされる。1981年1月15日、ドン・エルキンズたちの研究グループは社会的記憶複合体「ラー」との交信を始めた。この交信から「一なるものの法則」と「一なるものの法則」のゆがみ[3]のいくつかがもたらされた、としている。著者のドン・エルキンズは物理学の教授でUFO現象の研究家、カーラ・ルカートは司書ならびに書誌学者(本著作のチャネル)であるとされる。ジェームズ・マッカーティは1980年にこの二人の調査に合流したと記されている。この交信におけるセッションでは質問者である彼らが質問をし、それに「ラー」が答えるという形になっている。ラーとの交信のセッションは106回まであり、「一なるものの法則」シリーズは第一巻から第五巻までの五冊に収められている。第一巻はその内の(session 01~session 26)までを扱う。(日本語訳の第二巻は、日本語訳第一巻から約十年後の2018年に刊行された。)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

そう、言語化が不可能な概念を伝えるというのは、そもそもその概念がこの現実には存在しない概念であるからして、それを伝えるのは、ほぼ不可能と言っていい。正直言って、本を読んでも、意味が分からない表現が多い。
おそらく、その原文は、英語が母国語の人でも、その英語自体読みづらいに違いないと思えるほどだ。いわゆる直訳でも、直訳ゆえの日本語への変換方法というものが存在するのだが、そういった次元の話ではないのだ。どのように言葉を変換しても、言葉の意味が成立しないものばかりなのだ。

これをどのように表現したらいいか、ちょっと考えてみた。
たとえば、地球上では、りんごは木から落ちる、というニュートンの法則が存在するのは、皆さんに同意していただけることと思う。でも、あちらの世界では、この法則が通用するかどうかということすら別問題となるということが、前提となる。そもそも次元が違っている可能性があるので、この世の常識があちらでは通用しないと仮定した方がいいということだ。

だから、『りんごは、りんごが落ちたくなったから落ちるのであって、そこにりんごの意思があるのが前提であって、りんごにその意思がなければ、りんごは空中に永遠に留まるのである……』とか、こんな感じの表現が普通にあったりする。
うまく書けたかどうかはわからないが、ラー文書の中は、こんな感じの表現だらけで、この世で「当然」と思われることが、そもそも「当然ではない」のだから、概念のズレが生じてしまい、頭の中でどうやっても言葉が噛み合わないのだ。
つまり、『りんごが仮にその意思を持ったとして、なぜそれが当たり前のように空中に留まるものであるののか』、その根拠が、ニュートンの法則が存在するこの次元においては、全く理解不能なのである。でも、それが当然のこととして話は進んでいくのだから、内容が理解できないこと、甚だしいのだ(笑)。

この感覚が分かると、3番目のチャネリングをしているという、自称チャネラーのいうことが気持ち悪く感じるというのが、少しは理解しいただけると思う。
そもそも、あちらの世界のことが、わかりやすい言葉で安易に説明できるわけがないのだ。そうした前提がないこと自体が、逆説的に、自身のことを、「偽物」であると立証しているのだが、彼らはそれに気が付かないほどの「馬鹿っぷり」なのである。

そうした馬鹿どもにうんざりしている私は、こうした自称チャネラー「だけ」を排除してくれるような、更なるウイルスでも自然発生してくれないだろうかと、この世の自然の仕組みに期待しているが、きっとそれは叶わぬ夢なのだろう。
そうした絶望も、自称チャネラーの人達からみれば、「わかっていないのねぇ、かわいそうに」となるのだから、やっぱりそこには、虚無と絶望しか生まれないので、結局、スピリチュアルって、なんなんだろう?となってしまうのが、関の山だ。ということで、振出しに戻る(笑)。


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