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赤いシークバーは春をすぎたあと_2024_5_3

四月が終わった。大切な人との限られた時間はあっという間に過ぎ去って、つくづく平凡に時間を憎んだりもするけれど、振り返ってみれば一日一日を着実に重ねた日々だった。
四月はずっとそんな感覚があった。忙しくしていれば時間はあっという間だと言うけれど、それにしたって一日八時間ほども費やしていることがあっという間に感じられるわけがない。毎日を積み重ねる感覚だけが、寝る前にカレンダーにごほうびシールを貼るたびに去来していた。


五月はたくさん本を読もうと思う。毎月言っている。ひどい不安や急激な虚しさは、日々の生活の空白を少なくすることで少なくなる。仕事から帰ってきたら体力はもうないのだけれど、寝る前に十分でも読めればいいな。


五月。今日はひどく暑かった。大切な人と菜の花畑に行き写真を撮った。近寄るとミツバチの羽音がして、なにかの機械の動作音のようだった。黄色い海が青空と戦っていた。
もう春は過ぎたと思う。初夏の趣きだ。ちょうど太陽が南中している時刻で、二人の写真はどれも顔が翳ってしまった。でもいい顔をしている。お気に入りだ。


四月末に風邪を引いてから毎日短歌を作っていたのがストップした。三月から始めて、ようやく自分の中の澱のようなものが吐き出されたのではないかと思う。これからは毎日の視点と、何かについて考えることから歌をつくると思う。なにもわからないけど、やめないでいたい。

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