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座標_2024_4_19

晴れ。
今日はおやすみの日だった。仕事がある日は本当に朝が憂鬱だけど、休日の午前中は満ち足りている。たくさん寝たけど、まだ午前中。予定は特にない。これからなんでもできる。そういう心持ちの状態が一番幸せだ。何にもしなくてもいい。実際に動いてしまえば、動いた分だけの結果が出てしまう。それが良いものであれ空虚なものであれ、何かしらの小さな後悔が一日の終わりに訪問してくる。

とはいえずっと布団にいるのも体調が悪くなってしまうので、昼からバスに乗り本屋さんに行った。病院にも行った。特に何を買うわけでもなくぶらぶらしていたら疲れて、サイゼで休憩。その後に買うか迷っていた本を一つ買ってカラオケに。一人だと+300円になることを忘れていて悲しかった。同じタイミングで入店した高校生たちと隣の部屋になり、カラオケの嫌さを思い出した。やたら上手い流行りの曲が隣から流れてくる。思い切り歌える楽しさは謎の敗北感に打ち消される。そもそも一人の世界に入ってカラオケを楽しめるほどうまくもないし、そのための工夫をしようとも思えない人間だったので、早々に諦めてぽつぽつ歌っていた。一時間もするとそれにも飽きて、フリータイムで入ったことを後悔しながらソファに横になる。買った本を読む。短歌を考える。隣の高校生が増えた。がなりながら湘南乃風を歌うタイプだ。DAMチャンネルに知らないアーティストの大喜利が流れる。おなかがすいたので、帰った。今日はそんな日だった。


何で聞いたかは忘れたけど、人の状態というものは座標だ、という言葉を思い出した。人は常に変わり続けるもので、昔と今、良いも悪いも今の自分のいるところによって変わり続けるものだ。昔の自分でさえ、振り返るという思い出しの行為のたびに形を変えている。
高校生と大学生/社会人、適応障害で休学する前と後、一人暮らしの前と後。何かの契機で自分が明確に変わったタイミングはあれど、それがどういう状態であったか、正しく説明することは誰にもできない。
今は、そうした自分の座標を振り返った時に楽しめるような人生を生きたいと考えている。もしかしたら五芒星を描いているかもしれない。あんなに無秩序な星の並びにも星座という意味を見出す私たちだから、きっとそこからも何かしらのメッセージを受け取れるだろう。平面だけじゃなく立体で、椅子の形をしているかもしれない。縦軸も横軸も高さも曖昧で変化し続ける。そんな中を真面目に生きたい。

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