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【小咄】共感が先か、理解が先か

共感する。

理解する。

物事への反応として、それが直感的なのか論理的なのか、そんなものは人それぞれだ。しかし、意外とそれを意識することは少ないと思う。

一種、学術的な話ではあるので調べるといくらでも、このことは書いてある。まぁそんなことはどうでもいい。(同感と共感は違う、とか「わかる」は「共感」か「理解」なのかとかそんなことが出てくる)

少なくとも、昔は僕はそんなことを考えてみたこともなかった。善悪や物事の良し悪しの判断というのは、わりと感性の方に軸を置いていた。

感性的に納得が出来ないから、屁理屈を並べて論理的に否定するだなんてことをしょっちゅうやっていた。

今、振り替えて考えてみれば
わりとクズだと思う。

今はどちらかといえば「理解→共感」の順になった。

怒る人がいる、
悲しむ人がいる。

なぜ、そうなったのか、
どこにそう感じるのか、
それが僕の感覚的にも
「共感的理解」が出来るか。

そういう感じで最近は人に
向き合うようにしている

だからモテない。

女性にモテたいなら
「共感」が先のほうがいい。

「理解」まで行き着く必要もなく
答えを出さなくていいことも多い。

とはいえどね。

別に異性に限らず、
共感して理解してくれる人は
珍重される。

僕はそう思ってる。

・・・ってことを
共感して理解してもらえたら
僕はあなたに好意を抱くよね。


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