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6年間校内で裸足生活―給食当番①

 僕は母子家庭で育ち、小学校6年間、校内を裸足で過ごした。今でいう「子どもの貧困」や「相対的貧困」という状態にあった。母は保険のセールスレディとパチンコ店で身を粉にして働いたが、生活は厳しく、毎日、朝食と夕食は、納豆とごはんだけで糊口を凌いでいた。もちろん、それすらもない日もあった。だから学校には、栄養バランスのよい給食を食べに行っているようなものだった。クラスメイトの女子が「私、ダイエットしているんだよね~」とか「私、これ苦手。食べられなーい」と言って食缶に捨てた残飯を、僕は自分のお皿に盛り返し、おかわりする。みんな平気で食べ物を残すけど、本当にもったいないと思う。僕のようにいつもお腹を空かせていて、食べたくても食べられない人間もいるのだ。でも、衣食住が満ち足りたみんなには、僕のような人間の気持ちなんてわからないし、どうでもいいことなのだろう。たしかに惨めではあるが、仕方がない。背に腹は代えられない。クラス替えがあった最初の頃は、残飯を食べる僕に対する蔑視や悪口、嫌がらせが凄まじかった。僕が残飯を食べられないように食缶に鉛筆の削りカスや消しゴムのカス、シャープペンシルの芯、唾なんかを入れられたりした。今はみんな慣れたせいか、「こいつ、またやってるよ」くらいの感覚だ。それでも僕は必死だ。今しっかり食べないと、夜は食べられないかもしれないからだ。

 給食を食べ終え、ふと足裏を見ると、ご飯粒や汁の具、髪の毛がくっついてかぴかぴになっていた。そう、僕はこの学校で一人だけ、上履きと靴下を履いていない。裸足だ。今は6年生だが、入学してからずっと裸足でいる。12月、ちらちら雪が降るようになり、寒さが厳しくなった。女子はタイツに靴下を重ね履きして上履きを履いている子が多い。上履きは学校指定の一般的なバレーシューズタイプのため、生地が薄く寒いのだろう。僕は霜焼けと汚れで赤黒く変色した裸足の足裏を擦り合わせながら、女子の履いている上履きを複雑な気持ちで観察する。彼女たちの上履きの底は、鋭い滑り止めが付いていてギザギザしている。あれで何度、僕は素足を踏まれただろうか。無防備な足の甲、足指、足裏を上履きで踏みつけられると、足先から全身の神経に鋭い痛みが走り、「うっ、」と呻かずにはいられない。女子はわざと踏んでくる子もいるし、後ずさりしたときなど僕の裸足があることに気づかず踏んでしまう子もいる。「この寒いのに裸足ぃ?あんたの家、上履き買う余裕もないんだあ。うわあ、きったない足~!私がばい菌退治してあげる♡」と言って思い切り踏んでくる子もいれば、「あ!ごめんね。痛かったでしょう…」と謝って踏んだ足を見て気にしてくれる優しい子もいる。

 その優しい女子は、瀬村みきという。瀬村みきは色白で眼鏡をかけている女の子だ。学級委員をやっていて勉強がよくできるため、先生の信頼も厚い。今日の瀬村みきの服装は、ワイシャツに紺のセーターを着て、チェックのスカートを履いている。足元はすらりと長い脚に黒いタイツを履き、くるぶしから下はバレーシューズのような指定の上履きで包まれている。いつも思うのだが、瀬村みきは大人っぽく、清潔感がある。それに比べて僕は、毛玉のついた着古したトレーナーに、色褪せて膝に穴があき、しかも裾が擦れて糸がほつれたジーパン、そしてその裾からあらわになった”裸足”である。足の爪と肉の間には黒い埃や垢が詰まっていて汚い。足裏は土踏まず以外は真っ黒で、汚れがこびりついていない部分は霜焼けで赤くなった肌の色がのぞく。そんな僕と瀬村みきは給食当番でペアだった。

 給食当番の白衣を着て、僕と瀬村みきは廊下を歩いた。僕の方が彼女より少し前を歩いた。廊下は冷たく、湿気を含んでいて、裸足で歩くとぺたぺた音がした。振り向くと、瀬村みきの視線は僕の足裏に注がれていた。赤黒く変色した汚い足裏に、彼女の聡明なまなざしが眼鏡のレンズを通して僕の足裏に突き刺さるように感じた。僕は急に恥ずかしくなった。そのとき瀬村みきの目尻が優しく下がり、口もとが緩んだ。微笑しながら彼女は、「O君、いつも裸足ですごいね」と言った。僕は目頭がかっと熱くなり、何も言えずにいた。「私には絶対無理だもん。もしここで靴とタイツを脱いで裸足でいるように言われたら、それ、私にとって拷問以外の何物でもない」と、瀬村みきは可笑しそうに手を口に当ててくすくす笑った。

「そうだよね。女の子は足元冷やしちゃいけないっていうしね。僕はずっと裸足で学校生活を送っているから、たぶん慣れているんだと思う」

「さむくないの?」

「さむいけど、足裏の皮が厚くなっているし、動いていると体がぽかぽかしてくるから平気だよ」

「ねえ、足の裏、見せてよ」

 僕は体の底から何か熱いものがせり上がってくるのを感じた。瀬村みきに背を向け、爪先を廊下の床に付けたまま、踵を上げて足裏が見えるようにした。

「うわあ、真っ黒。そしてきれいな土踏まず。ずっと裸足で過ごしているとこんなふうになるんだね」

「汚いよ」

「でも、お風呂に入って洗えば取れるでしょう」

「家は三日に一回しかお風呂に入れないから、雑巾で軽く拭くだけだよ。だから汚れはあまり落ちないね」

「そうなんだ。皮膚に汚れが染みこんでいるみたいね。学校は雑菌がたくさんいるから、毎日ちゃんと洗ったほうがいいよ。衛生的に」

 僕は少しむっとしながら、うなづいた。今まで風邪を引いたり病気になったことがないのだから、足が汚れていても問題はないと思っている。

 給食の配膳室の前で先生に制止された。

「ちょっと、あなた裸足じゃない。上履きはどうしたの?」

「ありません」

「何言っているの。そんなわけないでしょう。取りに行ってらっしゃい。裸足のまま配膳室に入るなんて不衛生でしょう」

 「先生、彼、家庭の事情で本当に上履きがないんです。だからいつも校内では裸足で過ごしているんです。それに、私たちの上履きだって、トイレに入ったりしているのですから、汚いですよ。私たち、食缶を運ぶ当番なので、女子の私だけでは運べません。お願いです。彼が裸足で入室することを許可していただけないでしょうか?」

 瀬村みきは少し興奮したように、先生に向かってそう言った。その先生は産休に入った低学年の先生の代わりとして赴任してきたばかりだったので、僕が裸足で歩いているところを見たことがなかったのかもしれない。

「しかたないわね。さあ、早く入りなさい。床がぬるぬるしているから、裸足のきみは滑らないように気をつけてね」

 配膳室に足を踏み入れると、先生の言うとおりコンクリートむき出しの床は油っぽく、ぬるぬるしていた。滑らないよう、指先に力を入れ、床をわしづかむようにして歩いた。瀬村みきと「せーの」と掛け声で息をぴったり合わせて食缶を棚から引き出した。今日の食缶はとても重たく、瀬村みきはふらついた。ふらついて大股で歩くので、僕はふとしたはずみで裸足を踏まれやしないかとヒヤヒヤした。配膳室の中は混雑していたので、僕の足指は他の給食当番の上履きの底ゴムにぶつかった。たくさんの大小の上履きの中にある僕の裸足。足の爪が伸びている。爪の中は黒い。「足、踏まれないようにね」瀬村みきが言い終える前に、小さな上履きに小指を踏まれた。痛い。寒さでかじかんだ小指は、上履きのギザギザに踏みにじられ、悲鳴を上げた。低学年でも上履きを履いていれば、裸足の高学年を痛めつけられるのだと知った。無力、残酷、惨め…そんな言葉が頭の中で反芻した。瀬村みきの足と僕の足を交互に見比べる。同じ人間とは思えないものすごい格差だった。

つづく

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