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菅野完から「オスの魅力とは何か」を学ぶ

6月28日、『日本会議の研究』で知られる著述家・菅野完とアンチフェミニストの小山晃弘が対談を行った。詳しい経緯と対談の内容は以下の記事にまとめられている。

菅野が自身のチャンネルで小山との対談を配信しており、私もそれを試聴していた。以下の動画の冒頭から26分ほどまで対談が続いている。

Twitterの男女論界隈のタイムラインでは小山・菅野対談の話題で埋め尽くされており、後日、男女論界隈のアルファである「やまもとやま(美少女)」が小山を招いて対談の感想スペースを開き、興奮冷めやらぬといった様子で菅野完のヤバさについて語り合っていた。

界隈の反応としては、「有害な男らしさ」を全開にする菅野完への嫌悪感一色だったように思う。「女の相撲取りがいないのは回しをつけるとクリトリスが刺激されるから」「チンポ乾く暇がない」などのネタっぽい発言を面白がる反応も見られたが、やはり粗野な態度で下品・下劣な発言を繰り返す菅野に対して好意的な反応はほとんど見られなかった。

とはいえ、それが嫌悪感によるものだったとしても、菅野完が男女論界隈の話題をかっさらい、界隈の人々を魅了したのは事実である。彼らは菅野完に魅了されたとは認めたくないだろうが。

私は対談の動画を見て菅野完の異常性に圧倒されてしまった。酒が入っていたとはいえ、あの狂気はすごいなと。私もまた菅野完の人間的魅力に惹きつけられてしまった。
配信では小山さんだけ電話越しだったので、声が聞きづらいため劣勢に見える、言ってることは小山さんの方がまともである、といった話は正直どうでもよい。明らかに配信での菅野は狂っていたし、小山の方がまともなことを言っている。そんなことは配信を見れば誰でもわかる。
そもそも「相撲クリトリス発言」の時点でまともな討論など成立していないし、どちらの言っている方が正しいのか、どちらが優勢だったかといった判断はもはや意味をなさない。

菅野完の人間的魅力ーー唯一、あの対談配信が私たちの心に残したものはそれであった。少なくとも私はそう考えている。

菅野・小山対談の後、タイムラインに立花隆志と菅野完の公開討論の動画が流れてきた。

画面に流れるコメントでもYoutubeのコメント欄でも「立花の勝ち」という意見が圧倒的多数であった。
まずこの動画を掲載しているチャンネルが立花隆志の切り抜きであることから、立花寄りのコメントが多いのは当然だろう。
また、立花と菅野のキャラクターの違いも大きく影響している。立花が笑いを交えながら終始大声で相手をバカにするのに対して、菅野は低いテンションのまま小声で応じる(実際は小声でもないのだが立花の大声に比べるとそう感じられる)。「陽キャのいじめっこが、ダル絡みしてくる陰キャをいじっている」ように見えてしまうのである。これでは立花の方が優勢であるように見えてしまうのも無理はない。

対談の当事者である小山氏も、この動画を視聴して「立花の勝ち」という感想を抱いていたようだ。

だが、私は全く異なる感想を抱いた。
それは、この公開討論における菅野完の「動じなさ」は尋常ではないということである。
勝ち負けなどどうでもよいのである。
立花からあれだけ大声で虚仮にされながら声を荒げこともなく、表情も変えずに淡々と応じていく様子を見て私は尋常ではないと思った。通常の神経の持ち主であればどこかで感情的になってしまうか、嫌になって公開討論会を終わらせようとするはずだ。
動画を見ると公開討論会を終わせたがっているのはむしろ立花の方だった。「質問が終わったのならもういいでしょ、終わりにしましょう」と繰り返す立花に対し、菅野は「1時間しか経ってないんだからまだまだ序の口でしょ」「時間無制限と言ってきたのはあなたでしょ」と返す。
立花の戦い方は大声を出して相手を虚仮にすることで萎縮させるというものだが、菅野にはそれが全く効いていないように思える。
なぜか。

立花との討論動画と小山との討論配信を視聴していて気づいたのが、菅野は相手の感情に関心がないということだ。相手の感情に関心がないから立花から大声で終始虚仮にされても全く動じないし、「女の相撲取りがいないのは回しを着けるとクリトリスを刺激するから」のような素っ頓狂な発想が躊躇なく口を衝いて出てくる(ちなみに女性力士は存在する)。
つまり共感能力が低い、いわゆるサイコパス気質なのだ。

私たちが菅野に魅力を感じてしまう理由がここにある。サイコパス気質の人間は魅力的なのだ。学校でいじめっ子がモテていたのと同じである。相手の感情を無視して行動できる粗暴な男に私たちは魅力を感じてしまう。
あくまでも男の話である。女のサイコパスはあまりモテに影響しなさそうだが、男はサイコパス気質が間違いなくモテる。
逆に、共感能力が高く、優しくて気遣いができる男はそれほどモテない。そのような男は押しが弱く、サイコパス気質の男のようにコミュニティでのボス格になりにくい。女にゴリゴリとアプローチしていくことにも抵抗を感じてしまうから経験人数は多くはならない。
「優しくて気遣いができる男はモテない」と言うと必ず女が反論してくるのだが、相手の言動に対していちいち感情的に動揺してしまう男が果たして魅力的に見えるか?を考えればわかるはずだ。

つまり共感能力が低いサイコパス気質とは、「男らしさ」の重要な構成要素の一つなのだ。相手から何を言われても何をされても感情的に動揺することがない男はタフに見えるし、それが私たちには魅力的に映る。特に自分達の上に立つボスやリーダーにはそのような男を求めるはずだ。サイコパスに経営者や政治家などの社会的地位の高い者が多いとされるのは当然である。そのようなタフな男でなければ人の上に立つことはできない。サイコパスであることはアルファオスの必要条件なのである。

こう考えると、ネット上の菅野完への反応もよく理解できる。ネット上での菅野完への嫌悪感混じりの反応は、学校のいじめっ子に対するそれと同じなのである。いじめっ子は内心みんなから嫌われていただろうが、学校のように同じ時空間を共有する場では「支配者=いじめっ子」と「被支配者=いじめられっこ、傍観者」という形で支配-被支配関係が決まり、「支配者」に逆らえなくなる。ネット上だから菅野完に対して好き勝手なことを言えるだけであり、菅野と直接話せばネット民のほとんどは萎縮させられて被支配者側に回ってしまう。

他者の感情に関心を払わず独善的に行動し、同じ時空間を共有する他者を支配する力ーーそのサイコパス性こそがオスの魅力である。

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