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キャンセルカルチャー問題を道徳論で片付けてはいけない

ここ最近、主に人文科学系研究者やジャーナリストを呼びかけ人としたオープンレターの話題がTwitterで盛り上がっている。呉座勇一氏の停職、後任にまで発展したキャンセルカルチャー問題である。

私もこの問題に関心を持っていたところ、TEDの最近のテーマが「キャンセル・キャンセルカルチャー」であるという話を聞き、早速Youtubeで動画を視聴してみた。

プレゼンをしているのは俳優・演出家のベティ・ハートという女性だ。彼女曰く、キャンセルカルチャーには二つの問題がある。第一に、キャンセルする側の人々が100%正しいということが前提となっており、彼らも間違うかもしれないという可能性が全く考慮されていないこと。第二に、キャンセル側される側の人々から、変化し、成長する可能性を奪ってしまうということだ。

彼女の指摘する問題点は至極もっともだ。では、我々はキャンセルカルチャーによる世界の分断に対して、どのように対抗していけばいいのか。彼女の提案はキャンセルカルチャーの代わりに「思いやりのカルチャー(Compassion Culture)を創る」ということだった。人々を傷つけるのではなく、人々を愛し、思いやりを持とう、そして世界を変えよう、というわけだ。

この動画のコメント欄に「思いやりは世界で最も美しいことだ」というコメントが書かれていた。確かに、思いやりで溢れた世界は美しい。そして、人々が互いに思いやりと愛を持って接すれば世界から分断もキャンセルも無くなるのかもしれない。このスピーチを聞いて意識を変える人もいるのかもしれないが、10分程度のスピーチが人々に与える影響とはどれほどのものだろうか。多くの人は「いい話を聞いた」と満足し、次の日には忘れているのではないだろうか。

道徳的な話が惹起する美や感動といった情動的反応は、人々を思考停止に陥らせる危険がある。アンドレ・ブルトンの『ナジャ』には「美は痙攣的なものだろう」という有名な一文があるが、美がもたらす陶酔は我々を痙攣させ、問題を解決するための現実的な思考を奪いかねない。

キャンセルカルチャー問題の終着点は、キャンセルに対してキャンセルで対抗し、両陣営が報復合戦を繰り返して疲労し尽くした先にしかないだろう。美しい道徳的な訓話を聞いて感動し、隣人愛に目覚めた人々が互いに手と手を取り合って世界を変える、ということは現実的に起こりそうにない。

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