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男にのみ成熟の重さを説く無自覚な差別主義者が今日も善良な市民ヅラをして街を闊歩する

見た目が若く、年齢相応の成熟を感じられない男は金融機関に勤めている者から見ても信用できないし、「様々な面で駄目」なので女からモテなくて当然、と主張する記事を見つけた。

記事の話の流れはおおまかに次のようになっている。

1.各年代ごとにライフイベント(結婚、出産、子供の結婚等)があり、独身者にはこういったライフイベントが乏しく、人生の苦労が少ないので成長も成熟もなく、未熟に見える。
2.女は「選択する性」なので男の未熟さを敏感に察知する。ゆえに独身男はモテない。
3.未熟さは挽回できないのでちゃんと若い時に結婚しましょう。

1、3に関しては一般論として妥当である(独身者は「ライフイベントをこなしていない人は未熟である」と突きつけられて反発を覚えるかもしれないが)。

問題は2である。1、3では一般論として結婚、育児等のライフイベントをこなし、人として成熟することを奨励しておきながら、2では「成熟」とはあたかも男にだけ関係する問題であるかのように論じている
これは、記事の最初で引用した婚活コンサルへの相談者が40代男性であったことに対応している。40代独身男の相談を引用しているので、あくまでも男のモテに焦点を当てて論じているのだということだろう。

では、女には成熟は関係ないのだろうか。猫山課長氏はこう返すだろう。「男だけでなく、女にも成熟は関係あります。女も各年代ごとのライフイベントをこなすことで成熟した見た目になるし、独身者の女は見た目に未熟さがあります。成熟の問題に男も女も関係ありません」と。

しかし、ここで重要なのは、2では「成熟」の問題をパートナー獲得フェイズの話に関連させていることだ。「選択される性」である男は「選択する性」である女から、成熟度合いを査定される。一方、「選択する性」である女はパートナー獲得フェイズにおいて成熟度合いを査定されない

これは婚活市場における常識である。女は男に対して年収や学歴、容姿などを総合的に査定するのに対し、男は女を見た目と年齢でしか査定しないのである。

婚活市場において、男は女を顔と年齢だけで選ぶーーこれは極論でもなんでもない。男の生物学的な本能に根ざした普遍的な傾向である。
これは、パートナー獲得フェイズにおいて、女に成熟は要求されないということを意味している。それどころか、未熟であればあるほど良いとすら言えるだろう。キャリアを積んだ30代の見た目平凡な女よりも、可愛い顔立ちの20代女の方が圧倒的にモテるのである。

これに対して「若くて可愛いだけの女を選ぶ男はレベルが低い」などと噛み付いてくる高齢婚活女を見ることがあるが、ただの負け惜しみでしかない。市場の話をしているところに、個人的な思い込みをぶつけることしかできない馬鹿が婚活市場にはとても多い。「マクドナルドは世界一売れている食べ物だ」という(市場の)事実に対して、「マクドナルドを好む者は貧乏舌だ」と返しているようなものである。婚活という実存を賭けた競争が人の判断能力を低下させる。

婚活市場において男は女を顔と年齢でしか選ばない、パートナー獲得フェイズにおいて女に成熟は要求されないーーこれらの事実から導かれるのは、

成熟のような精神的な要素とは人間に要求されるものであり、女には要求されない。つまり女は人間ではない。女とは所詮、男の性欲を満たして子供を産む機械でしかない、という強烈な差別思想である。

これが世の男の総意である。男の生物としての本能をきれいごと抜きに言語化するとこうなってしまう。こう考えると、男が存在することそのものが女性に対する差別なのかもしれない。男は男女を平等に扱うことなどできないのである。男に性欲がある限り、どれほどきれいごとで取り繕ったとしても男女の扱いに差別が生じるのは避けられない。

重要なのは、そのような差別的な思想を持っていることを自覚しているかどうかである。猫山課長氏のように、「若い時にちゃんと結婚して人生の節目で苦労をし、成熟しなさい」と素朴に考えているおっさんは世の中に少なくないはずだ。
しかし、そのような保守主義的、伝統主義的な考えは今日の社会においては”正しくない”のである。猫山課長氏もライフイベントの図を提示する際に、「多様性の時代と言われる中、このような図を提示するのは怖いものがありますが今回は思い切って出します」と記している。

おそらく、正しくないことは感覚的に理解されているのだろう。しかし、先ほども述べたように、ポリコレ全盛の現代において保守主義、伝統主義的な考えを提示するのは"正しくない"だけでは済まない。正しくないどころか、強烈な差別主義者であることを意味している。なぜなら、そのような主義は女を人間ではなくモノとして見做す危険な思想を孕んでいるからだ。

ポリコレ全盛の現代において、保守主義、伝統主義的な考えを掲げるということは、強烈な差別主義者であると言明するのに等しい。私は以前、女性差別が必要であると主張する記事を書いた。また、少子化解決には非婚・子なし女を無職と同じような社会的落伍者にするしかないという記事も書いた。これらは明確に女に対する差別を肯定した記事である。私は差別主義者であると自覚している。

そして猫山課長、あなたも差別主義者なのだ。いまさら善良な市民ヅラすることはできない。ポリコレ全盛のこの時代に保守主義、伝統主義的な思想を掲げるということは、差別主義者の悪人になるということだ。

猫山課長、俺と一緒に悪人になれ。差別思想を持ちながら社会に受け入れてもらえると思うな。差別主義者であることを認め、悪人として堂々と差別思想を世に開陳していけ。


私は自らの差別思想に無自覚な差別主義者が大嫌いである。なぜなら自己批判することもないので自らの差別思想に気づけず、自分の思想の偏りには甘いくせに、他人の甘さには厳しく偉そうに上から目線で社会の規範を説き、差別思想を持っている悪人のくせに自分だけは善人ヅラをして市民社会に受け入れてもらおうというセコい根性が気に入らないからだ。

たしかに、結婚、育児などを通じて精神的に成熟するのは重要なのだろう。その意見には賛成する。しかし、その成熟の重み、成熟の意義は男女でまったく異なっている。その違いを無視してこの問題を語ることはできない。

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