元夫と子どものこと

私は一度、離婚を経験している。
子どもはいない。

元夫はずっと欲しがっていたけれど、結局作らなかった。

セックスレスだった。
人としては好きだけれど、生理的に無理だった。結婚前からそれは変わらず。

じゃあなんで結婚したんだよ、って話だけど、浅はかでしたとしか言えない。

セックスはしなくてもキスやハグはしていたし、友だちみたいにくだらないことで笑い合って仲良しだったから、結婚して必要となれば、セックスくらいできるだろうと甘くみていた。

結局レスという問題は変わらないのに、変わって欲しくない部分だけが変わっていった。


いつのまにか二人でいるときには二人とも不機嫌で、触れ合うこともなくなっていった。

セックスを求められることがプレッシャーで、断るのも気まずくて、断ったあとに凹まれるのもしんどくて。

行為ができないということ自体も問題だったけれど、それよりも、そのせいで生じる心の距離の方が大きな問題だった。
今冷静に振り返ると、もっとやりようがあったんじゃないかって気もするけれど。

当時の二人の関係性は、へたくそな編み物みたいにぐちゃぐちゃな状態で。私たちには根気よくほどいて、編み直す気力は残っていなかった。


そんな中、周りの友だちが出産をしていき、アラサーという年齢のこともあって、自分も子どもが欲しいと強く思うようになった。
だけど、夫の子どもが欲しいとは思えなくなっていた。じゃあ、さっさと別れて違う人を探さなくちゃ。

でも、たまには楽しい時間もあるし、人として気は合うし。

そもそも別れたところで他の人に出会えるかどうかも分からないし、子どもが欲しいのなら今の旦那の子でいいじゃん。セックスできないなら体外受精とかすればいいじゃん。

でも、そこまでしたくはないかも。
お金もかかるし。
この人の子どもが欲しい!と思えていない人の精子で人工授精って、気が進まない。

でも、年齢的に気が進まないとか言ってる場合じゃないんじゃない?

でも、子育てって大変なのに、大好きと思える人の子どもじゃないとまっとうする自信ないかも。
産んだら途中で投げ出す訳にいかないのだから、無責任に作れないし。

でも…でも…と、決断ができないまま、ずるずると時間が過ぎた。


何年も迷ったあげく、最後は理屈ではなく。
家の中の殺伐とした空気に耐えられなくなって、私から別れたいと切り出した。

元夫は最初「別れたくない」と言った。
「夫婦なんて、どこもこんなもんだろ」と。

私は「こんなもんだ」と、諦めたくなかった。
もっと仲良く過ごしたかったし、夫のことを大好きだと思える状態で子どもを産みたかった。
できることならセックスだってしたかった。

価値観の不一致だ。

一年をかけて、ようやく納得してもらった。夫は「言い出したら聞かないよね。わかった一回別れよう」と言って離婚届に判を押した。

もともと「友だちみたいな夫婦」だった私たちは、「夫婦」が取れて「友だち」になった。

彼は「甘えていて、ごめん。何しても許されるって勘違いしてた」と反省していた。
それは、私も同じだ。甘えていた、ごめん。


別れた後も近所に住んでいて、二人でたびたびご飯に行ったりして、楽しかった。
離婚をしたら、付き合い始めた頃みたいに仲良くなれた。お互いに何も要求しないでいられる関係性は気楽だった。

離婚届を出した後も、元夫は「好きだ」と言ってくれていて「再婚しよう。今度こそうまくやれるよ。君の気が変わるのを待ってる」とまで言っていた。

私は、単純にうれしかった。
あれだけ悩んでようやく決断できたのだから、あっさり元鞘にもどるのは違うと思っていたけれど、
結婚生活自体、楽しいことも多かったから、気持ちが弱ってきたら、なびいてしまうかもしれないとも思った。

セックスできない人と、私はうまく夫婦でいられないと学んだはずなのに、ゆらいでいた。

友だちとして、たまにご飯に行ったりしながら数年が経った。

その間に私は、乳がんになって乳房を摘出する手術をして抗がん剤治療もした。
抗がん剤治療の前に「治療によって妊孕性(妊娠するための力)が失われる可能性があるから、卵子を凍結しますか?」という選択に迫られたりもした。
さんざん迷って、いろいろと検討して、結局卵子は凍結しなかった。

乳がんになったり、卵子凍結を迷ったりしている期間も、元夫は相談に乗ってくれたり、お見舞いに来てくれたりした。

「治療が不安だ」と夜にメールをしたら、次の日の朝に病室まで来てくれたこともあった。

卵子凍結するなら費用を負担するとまで言ってくれた。
「治療で、もしも子どもが産めなくなったとしても、養子もらって一緒に育てようよ。」
とも言ってくれて、正直、ちょっと惚れ直した。

おかげさまで、ガンは完全に取り除くことができて、私は死なずにすんだ。
元夫はまだ「好きだ。気が変わるのを待ってる」と言ってくれていた。

たまに電話をしたりご飯に行ったりと、変わらず仲良く過ごしていたある日、電話で「彼女ができた」と告げられた。

私は号泣した。
自分でも予想外の反応だった。

元夫は「彼女と別れて欲しいって言うなら別れるよ」と言った。
私は「そんなこと言う権利ないから」と言った。

別れてもらったからって、また結婚しようと言える自信もなかった。
これ以上、無責任に彼の時間を奪えない。

この時、初めて「ああ、終わったんだな」と思った。
離婚届を出しても、夫婦という名前が外れただけで、私たちは何も終わっていなかったのだ。

私のこと好きって言ってたくせに、彼女できるってどういうこと?とも思った。
離婚しているくせに、浮気された気分になっていた。

その数ヶ月後に電話で「彼女が妊娠した。籍を入れることにした」と報告されて、私はまた泣いた。

泣く自分に困惑した。
なんなんだよ、どうしたいんだよ?
わがままだな。と、心の中で自分にツッコむ。

「まだ好きだった」とか、そんな単純な感情ではなくて。
ただ、さみしかった。
元夫が自分から離れていくことが。
元夫との関係性が切れることが。

彼女ができても「彼女は元妻と会うこと理解してくれている」と言っていて、まだ友だちだった。

子どもができて再婚したら、いよいよ友だちではいられないよな、モラル的に。


そう思っていたけれど、元夫は子どもができてからも「妻は理解してくれてるから、子どもに会いに来れば?」と誘ってきた。

おおらかというか、デリカシーがないところがとっても彼らしい。
そして、妻さんの器でかすぎませんか?

器の大きい現妻の前で、元妻の私はどんな顔をしたら良いのか分からない。

私は抗がん剤治療によって閉経をして子どもが産めなくなっていた。
もしも、自分も再婚をして子どもを産んだりしていたら、割とあっさり会いに行けたのかもしれない。

彼の息子に会うのは、自分が選ばなかった方の未来を覗き見するような怖さがあった。

自分には、もう実現できない幸せを見て、受け止めるだけの器が私にはなかった。


ずっと子どもが欲しいと言っていた元夫は、私と別れたおかげで、夢が叶ったわけだ。

「養子でもいい」と言っていたけれど、SNSで、自分に似ている息子を可愛がっている元夫を見ると、自分の子どもを産んでもらえて良かったねと思ってしまう。私と別れて良かったね、と。


というか、「子どもを元嫁に会わせる」なんて、私だったら絶対に嫌だから、「いいよ」と言う今の奥さまの気持ちが全く理解できない。

「そうは言っても良い気はしないんじゃないか」とか考えてしまうけれど、考え過ぎなのかな。

きっと、みんな仲良くしたらええやん的な、おおらかなお考えなのでしょうね。


実際会ったら、小生意気で、かわいいだろうな。
「へえ、やっぱ似てるんだ」とか思うだろう。
こんな子どもを自分が産んでいたのかもしれないと思ったら、泣いてしまうだろうな。

泣かれても、息子も嫁も困るよね。

いつか泣かない自信が持てたときに、元夫の子どもに会ってみたいな。


自分が子どもを産めなくなった現状を受け入れてから、既にある命を愛でたい気持ちになっている。

友だちの子どもに会うときも、産むつもりだったときには、どこか自分のときの参考にしようと「学ぶ」気持ちがあった。

けれど、産めなくなってからは、子どもと触れ合うという貴重な体験をさせてもらっているのだという感覚と、生まれてきた命がただ尊くて愛おしい気持ち。

だから、元夫≒友だちである彼の息子も、存在がただ愛おしいし、もし触れ合う経験をさせてもらえるのならありがたいことだと思う。

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