ずっと、書けずにいた

21歳の時に初めて一人旅をした。
ペルーのマチュピチュ。
見るもの全てが新鮮で刺激的だった。
そこで恋に落ちた。

まあ、よくある話。
チープな物語なのだけれど、世間知らずの大学生にとっては、一人で抱えきれないほどの衝撃的な出来事の連続だった。

「いつか、この体験を作品に昇華したい」と思った。そうすることでしか、気持ちを整理できないと思ったのだ。誰かに読んで欲しい。誰かと共鳴したい。

書きたい、でも、書けない。
だって、なんか上手く言葉にできないんだもん。
下手に書くと、大事なものを取りこぼしてしまいそうな怖さがあった。


エッセイ? 小説? 私小説?
どんな形式が良いの?
どんな文体が良いの?
考えれば考えるほど、どんどん書けなくなっていった。

好きなエッセイや小説を分析したり、
「小説の書き方」「文章の書き方」の本を10冊は買って読んだし、小説の書き方教室に通ったこともあった。

それでも結局、書けるようにはならなかった。

「うまく書く方法」を探して、みつけられなくて、迷子になっていた。
書く方法が確立していないのに、書き出せないと思っていた。
失敗が怖かった。完璧じゃなきゃイヤだった。

数年ごとに「今なら書けるかな?」と、思い立って書こうとするけれど、結局「なんか違う。上手く書けない」と、書かずにきた。


「今じゃない。まだ書けない」と寝かせているうちに20年が経った。
書きたい気持ちは無くならなかった。
久しぶりに当時のことを思い返してみたら、
記憶がだいぶ薄れていることに気が付いた。
このまま消えていってしまうことが怖くなった。

完璧でなくても良い。
20年前に書きたいと思った出来事を、体内から摘出して、保存しておきたいと思った。

それで、おととし、形式や文体なんか気にせず、とにかく思い出せることを全部メモとして残してみた。


書く前は、この話だけで1冊の本になるだろうと思っていたのに、摘出できたエピソードメモは、12,000字程度だった。400字詰め原稿用紙30枚分。

「え、これだけ?」と、あっけにとられた。


今の自分の力量では、当時の気持ちや体験を作品に落とし込むことは出来ないんだと思い知った。

じゃあ、どうする?

結局、小さな一歩を積み重ねるしかないのだ。

いきなり納得のいく完璧な文章なんて書けない。そんなこと、理屈ではとっくに分かっているはずだったけれど、ようやく「書けない自分」を受け入れて行動する覚悟ができたのだ。

とにかく、今の自分にできる全力で書いてみよう。

まずは、短くても良い。
つまらなくても良い。

現時点での最善を尽くせばOK。


書き続けることでしか上達しないのなら、書く習慣を身に付けるしかない。

そのために、noteを始めた。

「できればnoteをきっかけに、本音で誰かとつながりたい」とか、
「あわよくば、エッセイで稼げる人になりたい」とか、
「もっと欲をいえば、自分の作品を後世に残したい」とか。
そんな下心もあるけれど。


なぜ書くのか?と聞かれたら、
それはやっぱり、書き残しておきたい物語があるからだ。

そのために、書く力を付けたい。

ずっと書けずにいたけれど、もううだうだしている暇はない。
忘れてしまう前に、作品に落とし込みたい。

他者と本音で共鳴したい。
根底には、その想いがある。





*この記事は、編集者・藤原華さん主催のコンテスト「なぜ、私は書くのか」に参加したくて書きました。


コンテストの開催を知ったのが約2か月前。
おもしろいお題だなあと思って、書き始めた。

書くことで頭の中が整理されて、「ああ、こういう整理できるところが好きで書いている節もあるよなあ」と思ったり。

お題のおかげで、書くことに関して自分と向き合えた。


私はすぐに忘れてしまうから。

あれ、なんで書いてたんだっけ?と、
目的を見失ってしまったときには、この記事を読み返して思い出したいと思う。



最後になりましたが、藤原華さん、
素敵なお題のコンテストを開催していただいて、ありがとうございました。

#なぜ私は書くのか

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