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『水の東西』について本気出して考えてみた

人生で一番真剣に『水の東西』と向き合いました。一つの教材文をこれほどまでに時間をかけて教材研究したのは初めてです、ってくらい。ここ1週間は『水の東西』について考えてました。多分『水の東西』もぼくのことをかんがえてくれていたんじゃないかなと思います。冒頭にもかかわらずもう既に『水の東西』と4回も書きました。タイトルと合わせると5回です。

幸せについて本気出して考えてみたらいつでも同じところに行き着くらしいですが、この教材についても同じことが言える気がします。ほとんどの方が「二項対立」「対比」について指導するのではないでしょうか。この文章を読んでいる君も『水の東西』について考えてみてよ、後で答え合わせしよう。

とりあえずこの『水の東西』という文章を、1年国語総合の授業の一番初めの単元として扱うことにします。指導事項は「読むこと」です。現行の学習指導要領国語編国語総合には、C読むことの指導事項として5つ挙げられています。全部書くのは面倒なので書きません。今回は本教材を用いて「ア 文章の内容や形態に応じた表現の特色に注意して読むこと。」「イ 文章の内容を叙述に即して的確に読み取ったり、必要に応じて要約や詳述をしたりすること。」の二点を指導事項として設定した授業を考案していきます。
なお、この授業は実際に教室で行うのではなく、教員による要点の説明動画を視聴させた上で、郵送したプリントに取り組ませるという形式を想定しています。そう、そのように想定して授業を作っていたのですが、本日の職員集会で「課題の郵送はコストがかかるからもうダメ」と言われおじゃんです。この場を借りてプリントを供養したいと思います。


さて、まずアです。「文章の内容や形態に応じた」とあります。『水の東西」の文章形態はなんなのでしょうか。現行の学習指導要領解説には「ここでの文章の「形態」とは、文学的な文章(中略)、論理的な文章(中略)、実用的な文章(中略)のことを指す。」とあります。中略した部分には具体例が書かれています。ぼくの勤務校で用いられている国語総合の教科書(数研出版)では「評論」として扱われています。ですが、筆者である山崎正和はこの文章は「随筆」であると主張しています。(大修館書店 WEB国語教室 2014年11月7日

さあ、そう考えるとこの文章は一体どちらなのでしょうか。評論文なのであれば論理展開と筆者の主張をしっかりと読み取らせなければいけませんし、随筆なのであれば決して筆者の主張にこだわる必要はないでしょう。確かに対比構造を用いて鹿おどしと噴水を例に日本と西洋の自然観を考察しており、それぞれの特徴や差異などが明確にわかることからも論理的な文章であると言えそうです。
しかし、この文章における筆者の主張とは一体なんなのでしょうか。最終段落に書かれている「もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのにもはや水を見る必要さえないと言える。ただ断続する音の響きを聞いて、その間隙に流れるものを間接に心で味わえば良い。そう考えればあの「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を現す仕掛けだと言えるかもしれない。」が筆者の主張なのでしょうか。確かに筆者の意見には違いありませんが、主張と言えるほど強いものでもないような気がします。どちらかと言えば鹿おどしという一つの具体物に端を発した筆者のとりとめのない思索の、一つの終着点に過ぎないのではないでしょうか。

ここに至ってぼくは、筆者自身が述べているように、この文章は評論文としてではなく随筆として扱うのが適当である、という結論に至りました。

ではこの文章を評論文としてではなく随筆文として扱うことにすると、どういった指導が必要となるのでしょうか。まぁ正直随筆とはいえある程度の論理は保たれた文章ですので、二項対立に着目させて本文の構造を理解させることが必要になるかとは思います。この点が指導事項のイになるのではないかな、と思います。
指導事項のアでは、そもそも生徒たちが文章の形態を見抜くことができる前提で指導事項が設定されています。しかし、そもそも生徒たちは文章の形態を見抜くことができるのでしょうか。いや、むしろ、我々教員も文章の形態を見抜くことはできるのでしょうか。
そもそも文章の形態というのもかなり曖昧なもので、どこからが文学になるのか、だなんて問いを文学者に投げかけたらその日は寝かせてもらえないでしょうから(偏見)、厳密に文章のジャンルを分類する必要があるかどうかはこの際さておき、文章の形態を厳密に分類することはかなり厳しいと言えるのではないでしょうか。そのことはこの『水の東西』が示してくれています。
ならば、この「文章の形態というものはグラデーションで、厳密に分類することはかなり難しい」ということを生徒たちにも実感してもらえば良いのではないか?と思いました。むしろ、『水の東西』の教材としての魅力はそこにあるような気すらしてくるのだから恐ろしいことです。

というわけで、ぼくが考えた『水の東西』の授業案は以下の通りです。3単位時間で構成してます。ちなみに、教室で授業した方が良い展開構成であることは否めない。育ってきた環境が違うから、夏がダメだったり遠隔授業がダメだったりするのね。
1、二項対立について理解させる。本文の通読。語句の意味調べ。
2、本文中の対比構造について読み取らせる。対比構造を用いることによる効果。
3、筆者の“結論”と、その結論に至る理由を考えさせる。
   この文章は評論文か随筆か本文中の記述を根拠として自分の意見を書かせる。
※WEB国語教室の記事も参考資料として生徒に読ませる。

ちなみにプリントは最初練習を兼ねてpagesで作成しましたが学校のパソコンと互換性悪過ぎワロタだったのでWordで作り直しました。一応どっちも供養しとくね。。。

映像は主に知識理解についての解説動画を配信する予定でした。しかし紙媒体による課題の郵送が不可能となったので、また色々とバランスを考えなければなりません。ギエピー


余談ですが、新学習指導要領によって新設科目となる「現代の国語」と「言語文化」ではそれぞれ扱う文章の種類が分けられています。現代の国語では文学的文章は扱えません。もし『水の東西』を本当に随筆と捉えるのであれば、現代の国語においてはこの教材は教科書に載らない、ということになってしまいますね。どうなるんでしょうか。早く新科目の教科書を読みたいですね。


追記 この記事はiPadで作成したのですが、今試しにAndroidのスマホからWord形式のプリントをダウンロードしたところ体裁がグチャグチャでした。各々で上手いこと感じてください。明日元気だったら画像をアップします。

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