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一周回って…、今、ちょっと迷子。

「一周回って、●●」という表現を聞きます。

使われ方としては、「時間や経験を一通りやってみて、結局初めに戻った」という意味が多いのでしょうか?

例えば、「一周回って、やっぱり私はお母さんの手作りのイチゴショートケーキが一番好き」とか。流行りのスィーツをいろいろ食べ歩いたけれど、やっぱりそこに戻るよねという感じ。

その昔、流行ったものがリバイバルで新鮮に感じるとか、今更だけど、よく考えてみたら…みたいなニュアンスもあるのかもしれません。

少し前まで、私は組織の人事部門で、新人や後輩の相談を受ける側にいました。「この仕事、本当に自分に向いているのでしょうか?」とか、「自分が本当は何がやりたいのかが分からなくなりました」とか、「今の仕事に興味が持てないのですけれど…」などと言う相談に乗っていました。勿論、選択肢は一つじゃないので、私が答えを言うことは殆どないのですが、話を聴きながら「ああ、私もそういうことで悩んでいたなぁ」と思って、その時期を上手く乗り越えられます様にと言う気持ちで聴いていました。

例えば、「今の担当業務にやりがいが見つけられない」と言う相談をよく受けました。仕事のやりがいというのは、自分の解釈次第のところがあって、その気になれば結構見つけられるものですが、それでも、どうしても合わないという場合には、思い切って止めるというのも一つの選択肢だよね、などと答えていました。その前提は、後輩たちも皆、似たような葛藤の経験を経て、社会に順応して、成長するものだと、あの時は思っていたからだと思います。

そして、自分自身が組織で働くことを卒業して、会社を立ち上げて3年が経ちました。時代は平成から、令和へ変わりました。コロナの影響で、生活や世の中の価値観が変わりました。

以前は、独立するからには、会社を立ち上げるからには、「去年よりも、今年。今年より、来年と成長させていこう」と思って、頑張っていました。

成長とは何か?

例えば、会社をもっと大きくするとか、いつかもっとお洒落で、大きなオフィスで仕事をしようとか、人を雇うようになるとか、銀行からお金を借りて大きく売り上げを伸ばすとか。そんな要素が、成長の尺度でもありました。マクロでみたら、経済は成長するべきだと思いますし、成長して、右肩上がりの方が良いのは確かです。

ところが、令和になって、Withコロナになってみて、状況はガラリと変わったのです。もう、お洒落なアドレスのかっこいいオフィスも必要ないですし、子育ても一段落して、自分のために時間をどう過ごそうかという新しい発想も生まれました。

そして、「会社を大きくしたい」「もっと大きく稼ぎたい」ということ自体が動機ではないことも、改めてわかりました。

組織の中にいれば「上司から良い評価をもらう」とか「昇進する」みたいなモチベーションもあるのかもしれませんが、いつか独立したいという目標を実現できたからか、地位や肩書き、異動やチームメンバーの入れ替えなどに、関心があった時代が、なんだか遠くに感じられるようになりました。自分の興味のど真ん中、ダイバーシティのことや人材や組織の開発の課題には、今でも真剣に取り組んでいます。でも、それは「自分の組織」だったあの時とは違う、もっと客観的な立ち位置でという変化も感じています。

この状況の中で、自分の中の情熱、自分自身が人生で成し遂げたいと思えるもっと本質的な「ミッション」をもっと突き詰めることが自分には必要なのではないか?と考えるようになりました。会社は、そのミッションを成し遂げる、一つの器なのだと。

私の会社のミッションは、「ミライをつくる人をふやす」としています。

それって、どんな「ミライ」のことなのか?この「ミライ」という言葉も、この変化の時代を経て、捉え方がもっと変わってくるのではないか?と思うのです。

そんな風に、いろいろ考えを巡らせてみて、私の人生とか、仕事や生活が、どうやら「一周回った感じ」がしています。

年齢的に「還暦」が視野に入ってきたことも、もしかしたら関係しているのかもしれません。還暦とは、十二支が一周することを意味していますので、私自身がその「1周」の最終コーナーにいるのは確かです。

独立して3年、令和、コロナ、還暦…。いろいろな節目が来ているようです。

きっと今は、一つの区切りを越えて、新しいスタートへトランスフォームする時期。だから、このやや脆弱に思える状態は、新しい一周を始めるための準備期間だと思うようにします。道のりも、長さも、これまでの一周とは全く違うのかもしれません。

変わらないとはっきり言えることは、新しい何かへ挑戦する意欲です。

今は、しばし、静かに自分の内側を旅する時間。いろいろ考えてみようと思います。


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