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【週刊新川】私と浜松、街から「まち」へ

こんにちは!HACK学生チームの松本です。

今回のライター:松本真吏

こんにちは!HACK学生チームの松本です。
実は、今年の3月でHACK学生チームを引退し(一体いつまで在籍させてもらっていたのか…)、生まれてからずっと暮らしている浜松を離れることになりました。

そこで、最後の記事として、私と浜松、そしてHACKでの活動の振り返りをさせていただきたいと思っています!お付き合い頂けたら、幸いです!


小さな頃思い描いていた、「街」

浜松の北の方で生まれ育った私にとって、浜松駅の辺り(いわゆる、街)に行くのは、一大決心がいる、お出かけでした。一番初めの街に関わる記憶は、忍者ハットリくん実写版の映画をZAZA CITYに家族で見に行った時のことです(確か5歳)。

車がなければ、どこにもいけないような(森にはいける)場所に暮らし、極度の出たがりだった私は、家族が車でどこに行くにもついて行ったので、稀にいける街はとても好きでした。ただ、バスに乗って1時間かかる街は、私にとって距離的にも精神的にも遠い場所でした。

小学校時代の通学路。山。

海外に行くようになった、でも

高校生になり、国際協力という分野に目覚めた私は奇跡的に様々な機会に恵まれて海外に何度か行かせていただきました。その後も、勢いよく、大学学部生になっても毎年のように飛行機にのり、海外(ほぼほぼバングラかインド)に行っていました。

インド一人旅の寝台列車にて。

一方で、いつも大学では授業を受けたら、ガソリンスタンドでのバイトに直行し渡航費を稼ぐ日々。私の大学(静岡文化芸術大学)は駅から割と近いにも関わらず、大学の周りを散策したこともほとんどなく、日本の他の場所どころか浜松さえもあまり知らないままでした。

留学中のげきうす煎餅布団生活。

コロナ、オンライン、そして国際交流協会!

そんな私を変えたのが、コロナ、オンライン化、そして国際交流協会!
コロナが始まり、毎年行っていた海外にいけなくなった私は、バングラ研究の先輩方とともに会社とNGO組織を組み合わせたような活動をオンラインベースで始め、物販の事業を担当させていただくようになりました。

バングラデシュの手織の布を使ったコースター

その過程で、フェアトレードやエシカル、サステナブルといった自分の身近にあるものや、生き方をもっと、まず自分が丁寧に行う必要性を感じました。そして、何より、人、多くの素敵な出会いに恵まれて、助けられました。ふとした時に「あ、あのお店にいこう〜」とか「あの方に会いたいな」と思うようになり、ここで、この街で生きているんだなあと思います。

また、機会に恵まれて大学院入学後の夏から国際交流協会でもアルバイトをさせていただくことになり、本当にやりたいことを自由に企画させていただける環境に身を置くことになりました。更に2022年3月からは、ここHACKのインターンチームにもジョインし、今年3月に卒業するまで、素敵な人たちに囲まれ、楽しく幸せな2年間を送ることができました!(ついでに修論もかけました!)

コロナ禍をありながら、浜松にリアル(対面)で会う大切な人たちが増えたのもこの2-3年の間のことです。

11月のみるみるめぐる写真展にて。すごく嬉しそうな私。

私と浜松、街から「まち」へ

今までずっと暮らし続けてきた、地元浜松。ただ、今までは実家とその周辺、そして大学生になって姉たちと住んでいた市内のマンションとその周辺、大学だけが、私の意識の中にある街でした。

「浜松がもっと賑わったらいいな」とも軽く考えてはいたものの、今までどこか他人事でした。

この2年でそんな私を変えてくれたのは、紛れもなく、私の周りの大切な人たちと、浜松の「まち」です。大切な人が、大好きな風景が、居心地の良い場所が、たくさん増えていくたびに、私の思っていた「街」は「まち」になり、他人事から自分ごとになっていきました。

この文章を書いている私は、実は、今日引っ越しをして、違う街に暮らし始めました。新しい部屋はどこかまだ他人行儀な雰囲気で、遠くから聞こえる救急車の音や誰かが話す声を聞きながら、少しドキドキしています。

この街がまた浜松のように私の「まち」になるよう、明日は朝から街を歩くぞ〜と気合を入れ、私の最後の週刊新川(数回しか書いてませんが…)を締めくくりたいと思います。ありがとうございました!


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