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#2 だから私は介護士の世界を飛び出したんだ〜みんなが幸せになれる未来のための戦い(前編)

奈良。鹿と歴史的建造物で有名だ。
法隆寺,春日大社,奈良町のアトリエ。見るだけで心が穏やかになる場所が多い。
昔ながらの古民家が並ぶ,歴史を感じさせる街並み。
実は柿の葉寿司や竜田揚げなど美味しいものも多い。
どこか落ち着く雰囲気のあるこの街に最近住みはじめ,社会福祉の世界に情熱を傾けている女性がいる。nonoさんだ。
彼女の家庭は転勤族で,広島,神奈川など様々な土地を移り住んできた。彼女はおだやかに言う。
どこででも生きていけますね。

――自分ではどういう性格だと思っていますか。

一番思うのはマイペース。周りが焦っててもあまり焦らないですね。
小学生くらいの頃から比べるとすごく性格が丸くなりました。

昔は勝気で負けず嫌いだったんですよ。勝負事も絶対一番になりたかったし,負けたくなかった。でも転勤が続いて「輪から乱れたくないな」という気持ちがあって,いろんな集団に馴染もうとしてきたんです。そのなかで徐々に角がとれていきましたね。

昔は勉強も学年で上位の優等生タイプでした。だからこそなんでしょうけど,「やらなきゃやらなきゃ」と気を張っていたんです。そういう気の張りも少しずつとれていったような気がします。

のんびりした人に接してきたというのもあるし,大学受験が終わったことで,「もう頑張らなくていいんだな,終わったんだな」と感じられたからかもしれません。あとは,大学で農業高校出身の学生や自由な校風で学んできた学生たちに接して,私みたいに勉強ばっかり頑張っている人だけじゃないと知って,「勉強してない私も大丈夫なんだ」って思えたことも大きいです。

そういうなかで角がとれていって,最後には完全に丸くなりましたね。

――ストレングスファインダー,確かやってらっしゃいましたよね

やりました。その順番は内省,収集心,最上志向,ポジティブ,適応性でした。
最上志向があるから「もっとよくしよう」という欲はすごく強いですね。

――今は社会福祉士養成の専門学校で勉強中ですよね。将来的にはどうなりたいんですか

私はもともと介護士をしていたんです。介護士の仕事は奥深いんですけど,質を求めずに最低限のケアをするだけだったら誰でもできるし,シフト制なので誰とでも交代できる仕事なんです。そこで3年働いて思ったことは「このままでいいのか」ということ。

介護士として働いている人は,精神的につらそうな人が多かったんです。支援者側にゆとりがなくて,苦しそうに働いている。
「これってどうにかならないのかな」とはずっと思ってました。

せっかく働くなら楽しく働きたいしいい雰囲気で働きたい。
そもそもどうしてこういう状況になっているかもわからなかったので,ちゃんと福祉のことを勉強してみたいなと思ったんですよね。

福祉のことを勉強するなら社会福祉士かなと思って,社会福祉士の専門学校を選んびました。社会福祉士になりたいというよりは,勉強のきっかけとして社会福祉士の学校で学ぶというイメージですね。

――介護士として働く前は何をしてたんですか。

大学を卒業してからすぐに介護士として働きはじめました。
農学部で,植物について勉強していたんです。
園芸療法について勉強していました。園芸療法士っていう民間の資格もあるんですよ。

園芸療法:「医療や福祉の領域で支援を必要とする人たち(療法的かかわりを要する人々)の幸福を、園芸を通して支援する活動」ー日本園芸療法学会HPより引用


実際に小児病棟に行ったり,大学で手入れをしている庭に保育園の子や高齢者の方を招待して実習していました。

植物を勉強しながら,人の気持ちについて考えることが多かったですね。

――介護の仕事をやってみようと考えた理由は?

介護の仕事をはじめようとはもともと思ってなくて,介護にかかわらず,ホームセンターや,インテリア系の会社,家事代行の会社,人材系の会社など,いろいろ就職先をみてきました。

そのなかで私が重視したことは「イヤな人と働きたくない」「一緒に働きたいと思える人と働きたい」ということです。
大変なことでも周りがよければ続けられるかなと思っていたので。

それで,たまたま介護の世界に「この人たちと働きたいな」と思える人がいたという感じですね。就職試験で関わった人たちや直接話した先輩がとても優しくて,素敵だったんです。

こういう人たちがいるところなら大丈夫だな,働きたいなと思ったんです。今でも,その施設で働いたことはよかったなと思ってます。実際,自分の意見をもちながら,人にも優しくできるという人が多かったですね。

あとは,学生時代に祖父が亡くなったということも影響しています。

会うたびに祖父がどんどん変わっていく,弱っていくのを見て「人ってこんなふうになるんだな」と思いました。人が最後に死ぬのは知っていたけど,どんなふうになるのかはイメージできてなかったんです。自分も将来そうなるし,自分の両親もそうなる。なのに,自分がそのことを何も知らないのは怖いなと思いましたね。

死のことを知りたいなという思いもあって,死を意識することもある介護の現場に興味があったというのもありますね。

――「イヤな人と働きたくない」ということですけど,nonoさんにとって一緒に働きたくない「イヤな人」とは

人を傷つけるための言葉を使う人がすごくイヤです。
ネットでそういう言葉を使われる場所はほとんど見ないようにしています。

言葉については「言い方」がすごく大事だと思っていて,「これは明らかに人を傷つけるために言葉を使ってるな」というのはなんとなくわかりますよね。

言われている本人も傷つくし,その言葉を聞いている周りの人も傷つく。
自分に向けられてない言葉でも,人を傷つける言葉は苦手です。

でも,私,そんなにキラいな人はいないんですよね。
それは多分,自分が合わないなと思う人と距離を保ってるからだと思っています。
ちょっと「だめだな」と思ったら意識的に距離をとるようにしてますね。

まあ,介護現場だとそれがちょっとしづらいです。誰と勤務をするかは選べないので。上司に相談して夜勤を誰と組むか調整してもらっている方もいましたね。

――3年間介護現場で働いてどうでしたか

楽しいか楽しくないかでいうと難しいですが,入居者と関わる時間はとっても楽しかったです。

でも,職員さん同士のいざこざを目にするのがしんどいなと思ってました。
介護士がやめる理由って一番多いのは人間関係なんです。そこが難しいですよね。

あとは,上司がすごく大変そうだなってずっと思ってました。抱えている仕事量も多いですし,ご家族や職員からの要望も聞いているので、さっきも言いましたが精神的にきついんじゃないかなって。
いい人だし尊敬もしてたんですけど,私こんなに頑張れないなって思いましたね。

だからなんというか,仕事をすごく続けられないわけじゃないけれど,上司をみて「こういうふうになっていきたいな」という自分の将来像の具体的なイメージがもてなかったんです。忙しくて現場が疲弊している問題。こういう問題を解決するには同じ介護士として自分も追われながら働いているだけじゃだめだと思いました。外に出ていろんな問題を考えてみたかったんです。

こうして,nonoさんは介護現場の外に出ました。
現場の外に出てからnonoさんは具体的に何を考え,どこを目指しているのでしょうか。また,nonoさんはなぜお勉強部に入ったのでしょうか。
(後編に続く)
※nonoさんのブログはこちら,ツイッターはこちらオンラインサロンも開いていらっしゃいます。




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