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女神の壊れた天秤08~自転車事故 裁判の行方~

良き法律家は悪しき隣人?

そんぽADRに勧められた調停は「紛争解決手続」といい
私と相手(保険会社と事故の相手)、
そして中立的な紛争解決委員(弁護士さんなど)が集まり
話し合いをして解決を試みる方法です。

ただ以前、新聞等の記事にもありましたが
基本的に争いである交通事故での話し合いにはあわないため
問題解決に利用されることが低かったり、
解決にたどり着かないことが多いようです。

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電話にすらでない相手が話し合いの場に来てくれる可能性は低く
あの見当違いな資料(過去判例ではなく関係ない交通法)を
送付してきた保険会社とまともな対話ができるとは思えませんでした。

そしてたとえ紛争解決委員が「この過失割合はおかしい」と
いってくれたとしても、どちらもそれを受け入れる可能性は
ゼロに近いと思えました。
それくらい電話での対応はいつもいつも、
意味不明なほど強気で、頑固なものだったのです。

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裁判なんてそれまで、ドラマや映画でしかみることのないものでした。
また逆にニュースで知る裁判沙汰は厳しく重々しく、
かかわるのが怖い存在に思えていました。

裁判に行きつくまでの事務手続きなど想像もできませんでしたし、
手間だけでなく、費用や時間はどのくらいかかるのか
(仕事をしていたこともあり、時間に制約があったので)
やはり弁護士さん無しでは無理なのでは?など、
いろいろ考えてしまいます。

そもそも私個人としては過失割合さえ適正なものになれば
別に治療費や休業補償などはそこまでたいした額ではなかったので
(車同士の事故と異なり、自転車事故は低額なことが多いです)
損害賠償請求というとおおげさな気がしたのです。

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しかし、そんな戯言?は街の老弁護士さん(いつも相談していた方とは別)に一蹴されました。
(最初に「で、いくらくらい欲しいの?」と聞かれたのです笑)

「良き法律家は悪しき隣人」というのは、おおむね
「 法律の知識は豊かだが、人情や社会通念からは離れてしまった法律家」
を指すのに使われる法諺の一種ですが、
私たち一般人は逆に、法律や裁判を前にしたときは、
もっとシビアに、現実的にならなくてはいけないのかもしれない・・・
そう思わせる出来事でした。

とにかく私がもし、真の過失割合を得たいと思ったら
それには裁判が間違いなく、
裁判をするなら今回の事故に対する損害賠償請求として
行わなくてはいけないことはわかりました。

次回、「法の目的は平和であり、これに到達する手段は闘争」

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