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女神の壊れた天秤18~自転車事故 裁判の行方~

裁判はいよいよ大詰めを迎え、最終尋問となりました。

今までは書面で主張をしたり、それに証拠をもって反論したりを
繰り返してきましたが、今回は裁判官や相手の弁護士から
直接いろいろな質問をされます。

これまでやりとりした内容の総まとめにもなるので
一番、気合をいれて対応していかなくてはなりません。

ここで矛盾やおかしな発言をしてしまうと、
裁判官や司法委員の心証が一気に覆ることもあるからです。

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今回は欠席でしたが、もし相手が出廷した場合は、
こちらからも相手に対し質問することができます。

正直、相手に対して多くの質疑を投げかけたいと思う気持ちもありました。
何故なら、警察をまじえて現場検証などを行った際もその後も
相手はとても思考が浅く、出す言葉一つ一つが墓穴を掘るようなもので
容易に有罪を立証できると思われました。

例えば「横断歩道直前にいた私の前ではなく、
その後ろを通れば良かったのでは?」と言えば
「友だちが(私の)後ろを通ったから、自分は前を通るしかなかった」
と友だちと並走していたことを自ら証言したり
(並走していなければ、被告も私の後ろを続けて通ったはず。
 もちろん歩道での並走は厳禁です)
「横断者の前を横切るほど急ぐなんて」と批判するフリをすれば
”急いだこと”を批判されたと思い、それのみに意識がフォーカスされ
「遅刻するわけにはいかないでしょ!そこは大人が通してくれるべき!」
と、横切ろうとした行為を認め正当化してしまったり。

「自白は証拠の女王」と言われます。
裁判の場でそれを発言することは、私にとっては利益ですが
それをその場で裁判官や司法委員に追及され、
その結果、罪が重いと判定されることは、
相手の精神やその後の生活に対し、どれだけの負担になるか
私には想像できませんでした。

そもそも裁判にするかどうか迷った一番の理由は
相手がまだ学生であることでした。
今回、私が戦いたい相手は保険会社と相手の親です。

たとえ甘い!と周囲に言われても、出廷は良くないことだと思ったのです。

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私も日常生活なら、こんな場面では100%、
「こちらの注意不足で申し訳ないです」とか
「私がもっと機敏に動けたら良かったのですが」
と大仰なくらいに自分の過失を認めると思います(笑

しかしここでは自分が悪くないことをきちんと主張しなくてはなりません。
こちらはあくまでも不可抗力だったと説明せねばならないのです。
(もちろん事実に基づく範疇で、です)

事前にいろいろな人と最終尋問のシミュレーションを行いましたが
相手に対する思いやりや優しさ、日本人の美徳とする謙譲の精神など
まったく無用と言われました。
(もし譲る気持ちがあるなら、そもそも裁判など起こしてはダメです)

そして交通裁判において、0:10というのはかなり極端なケースになり
運転している(自転車にまたがっていたも同様)以上は
何かしらの責任をおわなくてはなりません。

そのため、どんな主張をしようと、それなりの過失は追及されることを
覚悟しなくてはいけないのです。

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相手の弁護士からの尋問はスキがなく、
こちらの挙動に不手際がなかったか、
事故の内容であやふやな点などを追及されました。

その場では大変緊張しましたし、詳細まで厳しいものでしたが、
理不尽なものは皆無で、不当に圧力を感じされるものはありませんでした。

そもそも相手の弁護士さんは、初回から最終尋問の日まで
常に冷静であり、さらにはとても親切!でした。

初めての裁判でいろいろ手間取ったり、小さな不備があっても
とても穏やかに丁寧に対応してくれました。
(判決後も、手続き上で困った際には電話で教えてくださったくらいです)

もちろんクライアント(保険会社と事故の相手)の不利益にならないよう
出来る限りのことをしている、というのを感じました。

そしてとうとう、判決の日を迎えます。

次回、「汝に法を与えん」



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