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女神の壊れた天秤19~自転車事故 裁判の行方~

「汝に法を与えん」

裁判所に上告をしてから約八か月。
とうとう判決の日を迎えることになりました。

とても長く感じましたが、これでも短くおわったほうと言われました。
経緯を知る、協力してくれた周囲の方々はみな、
この戦いの結末を楽観的に考えていましたが、
私は最後の最後まで不安でたまりませんでした。

もちろん法律的にも、事故の事実としても、
自分の過失が低い自信はありました。

しかし、あまりにも長く、そして強く、
何の証明も説明もされないまま、
「加害者なんだから」と言われ続けたこともあり、
人間不信になっていたのかもしれません。

当日は落ち着きがありませんでしたが、
万が一、理不尽な結果に終わった場合を考えると恐ろしく
裁判所には行かず、電話を待つことにしました。

たとえ行ったとしても、判決の全文は読まれないため
(判決で出された過失割合に対する詳しい説明が
 判決文には記載されています)
モヤモヤするかも・・・という思いもありました。

そして、ずっと担当してくれていた書記官さんからの電話がありました。

立場の逆転はおろか、むしろあちらの過失は
私が突き付けられた”7”を超えて”8”となりました。

10でも良いのでは?と友人知人には言われましたが
交通相談員の方や弁護士さんには、
交通法において過失が0(まったく非がない)という事例は
「停車中に後ろから追突された」
「相手が赤信号を無視してつっこんできた」といった
”もらい事故”と呼ばれる性質のものに限られると言われていました。
(その場合でさえ、注意不足という過失をとられることもあるそうです)

もちろんそういった事情を踏まえたうえで、
心情的にも、相手との駆け引きも考慮し
訴状の内容チェックをしてくださった弁護士さんは
訴状には「0:10で行きましょう」と決めたのだと思われます。

今回の場合は特に、相手の供述がなく、
ドライブレコーダーといった記録もないため立証できない部分もあり
事実が明確な部分のみで判定された結果が”8”ということになります。

私の目的はあくまでも法律に基づいた過失割合を出すことであり
相手を完膚なきまで叩き潰すことではありません。
相手が人としてクズ!ならなおさら、どんなに辛くても憤りを感じても
こちらはまっとうにふるまうべきだと思っていたからです。

事故から判決まで、本当に傷つけられ侮辱され、不当に扱われ
裁判の準備から手続きまで多大な時間や手間がかかりました。
しかし、戦って良かったと今でも心の底から思います。

事故の相手家族は事故も裁判も忘れて気楽に過ごしているだろうし
保険会社の人々も、すでにこの件すら覚えていないことでしょう。
(とはいえ相手は警察や裁判の記録が残りますし、
 保険会社も相手弁護士の負担だけでなく、
 判決で保険会社が支払った金額は、通常の保険の支払いに比べ
 裁判請求額に変わるため、数十倍!も多くなったこと、
 ”ネットなどではないルート”で多大な評判を落としており
 それなりに無傷とはいえないと思われます) 

それでも、だからこそ、自分自身の気持ちや今後のためだけでなく
見守り協力してくれた人がスカッとしてくれたことや、
あのような事例で被害者の過失が7という妙な実績を作らなかったことなど
いろいろ裁判をして良かったと思えることがありました。

最後に、相談に乗り支えてくださった
弁護士さん、交通相談員さん、警察の方、
裁判の手続きからその進行の全て、
そして法に基づいた正しい過失割合を出し
私に「法を与えて」くださった
裁判官さん、司法書士さん、事務官さん、
本当に、ありがとうございました。

そして読んでくださった方にも感謝いたします。
なにかしらのご参考になれば幸いに存じます。

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Sさんの体験談を終わります。
次回より、交通事故時や裁判を行う際に参考になる情報をお届けします。

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