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【コトダマ018】「なんでも知っているというようにふるまうよりは・・・」

なんでも知っているというようにふるまうよりは、どの藪にウサギが隠れているか知らないほうがずっとすばらしいんだ。

カルロス・カスタネダ『イクストランへの道』p.42

昨日に引き続き「わかる(知る)」ことをめぐるフレーズをご紹介します。

どんな人でも、目の前にいる人がどういう人か、何を考えているかわからないと、落ち着かない気分になります。だから、その人を「理解した」つもりになって、安心を得ようとする。その時に「活用」されるのが、その人のもっている属性、つまり「性別」や「年齢」や「人種」や「障害」や「疾病」といった要素です。

「わかろう」とすることは、人間の本能と言っていいかもしれません。でも、「わかる」ことで失われるものがあることには、なかなか思い至らないものです。それはまさに、メキシコの呪術師ドン・ファンがカスタネダに教えたように「どの藪にウサギが隠れているか知らない」ことによるワクワク感なのではないでしょうか。

「わからない」ことに耐え続けることは、ソーシャルワークにおいても重要です。それは精神的にかなりキツイことではありますが、安易に「わかる」ことに飛びついているうちは絶対に得られない、思いがけない発見の喜びもまた、「わからない」に耐えている人にしか味わえないものだと思います。

言うまでもありませんが、これは「クライエントを理解する」ことを否定しているわけではありません。というか、クライエントを(というか、人を)理解するというのは、ある種のグラデーションだと思います。まったくわからない(0%)ということもないし、完全にわかる(100%)ということもありません。ならば「理解できている部分」を踏まえつつ「理解できていない部分」を意識していくことが、ソーシャルワーカーには必要なのではないでしょうか。

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